KaMiNG SINGULARITY
AIが神になった世界をフェスにする
今ここにないものを想像して描く、というフィクションの手法をフェスティバルというエンターテインメントの場で試みている「KaMiNG SINGULARITY」プロジェクトの雨宮 優(あめみや ゆう)。体験作家というユニークな肩書きを持ち、Ozone合同会社のCEOを務める彼は、これまでに「エネルギー」「経済」「政治」といった様々なテーマを、自身が提唱する「スペキュラティブ・フェスティバル」の中で取り上げ、独自の解釈による仮想体験世界を繰り広げてきました。そして今回、そんな雨宮さんがテーマにしたのは「宗教」であり、“AIが神になった世界”。
この記事では、この何とも大胆かつ全く想像のできないテーマに挑んだフェスティバル「KaMiNG SINGULARITY」のイベントレポートとともに、雨宮の描く興味深い世界観の片鱗を紹介します。
「KaMiNG SINGULARITY」イベントレポート
SF映画の中にはシンギュラリティ(人工知能が発達して人間の知性を超える技術的特異点)を扱った作品が沢山ありますが、そのほとんどはディストピアとして描かれたもの。シンギュラリティが到来すると言われる2045年、人類の英知を超えたAIと私たちはどう共生しているのか。一体どんな世界が眼前に広がっているのか。
そんな誰もが一度は想像したことのある疑問に対して、“AIが神になる”という度肝を抜く答えを打ち出したのが、2019年8月9日に行われた「KaMiNG SINGULARITY」です。会場となった渋谷・ストリーム ホールの4階〜6階には、「Future Life Style(未来の生活)」「New Values(新たな価値観)」「Art Entertainment(遊びと芸術)」という3つのフロアが設けられ、2045年の世界に存在する(という設定の)多種多様なコンテンツが集結。その中には音楽ライブやインスタレーション・アート作品の展示、トークセッションなども含まれていました。
会場入り口には「2045年行きタイムマシーン」の文字。タイムマシーンに見立てられた(?)エスカレーターで4階へ上ると、大小様々な展示ブースが目に入ります。こちらは「Future Life Style(未来の生活)」のセクション。2045年の婚活・恋愛サービスを考える「Love Tech Media in 2045」や、AIにより適職を判断される「Hello Work in 2045」、CM制作のためのAIクリエイティブディレクター「AI-CD β」(ちなみに、本イベントのCM映像はこちらを使って制作されているそう)など、「今やAIってここまでできてしまうのね……」と感心させられてしまうものから、料理研究家・加瀬充子が提案する「落ち葉と土料理の世界」、100BANCHの「Inoca」プロジェクトの高倉 葉太が手がける「惑星サンゴ」など、一見AIとは関係のなさそうアナログなものまで。1ブース毎に小一時間ほど掛けてインタビューしたくなってしまうような興味深いコンテンツが並びます。
サイバー神社
さらに上階へ行くと、「New Values(新たな価値観)」をテーマにした、少々怪しげな雰囲気が漂う暗がりのフロアへ。宗教儀式感が満載のエリア中央には、このフェスを象徴する「サイバー神社」が祀られています。祭壇前で入力された参拝者の願いがブロックチェーンに刻まれ、深層意識へ到達する超音波として発信され続けるという代物。なお、本イベントのコンテンツは、雨宮の書く小説版「KaMiNG SINGULARITY」の物語と一部リンクしていて、このサイバー神社は小説内で重要な役割を持つ存在として描かれています。その発想や技術力に感激しながらも、「もし悪い人が私利私欲のためにとんでもないお願い事をし続けたら、どうなってしまうんだろう」と、筆者が一抹の不安と恐怖を感じたのも事実でした。
ちなみに、同フロアにあった、最新テクノロジーの力で瞑想とパフォーマンスの最適化を図る「瞑想ピラミッド」にも興味をそそられました。インテリアとしても何だかかっこいいし、効果(とお金とスペース)があるのならぜひ自宅に置いてみたい!
瞑想ピラミッド
ラストは6階。「Art Entertainment(遊びと芸術)」のフロア。9組の出演者によるライブパフォーマンスが行われるライブエリア、周辺にはアートブースと、オーガニックなエナジードリンクが楽しめるエリクサーバーがあります。ライブでは、人工知能ラッパー ピンちゃんが弱冠16歳の新人アーティスト・SASUKEとコラボしたり、AIアーティスト・AI Tommyが本物のダンサーの動きとモーションキャプチャで連動したパフォーマンスを行ったりと、AIと人間が融合した近未来を予感させるステージが展開。しかし、その合間を縫って、世界最古の管楽器であるディジリドゥや、輪になって太鼓を叩くドラムサークルなど、原始的な楽器と手法が使われたプリミティブなパフォーマンスも行われていました。
AI Tommyのパフォーマンス
ディジリドゥのパフォーマンス(Matsumoto Zoku)
先の展示ブースでも感じたことですが、最新のテクノロジーを駆使したものと、それに相反する原始的でアナログなもの。AIが神になった世界にはそれらが、どのように二極化されて存在するのでしょうか?
言われてみれば、たかだか26年後の世界。昔からある伝統的な文化がすっかり消えてなくなるわけではないでしょう。近未来といえば往々にしてSFチックなものばかり想像しがちですが、SF映画の中にも少なからずアナログなものは描かれているわけで。デジタル化され過ぎた世界へのカウンターカルチャー? 人間回帰への欲求? 懐古主義の産物? 兎にも角にも、先人が遺した文化のいくつかはどうにかこうにか存在しているのだと思います。そして、この二極化の隔たりの中にあるものを想像することこそが、シンギュラリティを乗り越える上での鍵であるような予感がふんわり。
ここから先はフェスの主催者である雨宮に話を伺うことに。彼が唱える「スペキュラティブ・フェスティバル」の意味を知ることで、「KaMiNG SINGULARITY」への理解がさらに深まるかもしれません。
「『KaMiNG SINGULARITY』とはAI技術の見本市ではなく、哲学と実践の場」だと強く主張してきたという雨宮。その開催を終えた彼は、主催者としてどのような手応えを感じたのでしょうか? また、 “スペキュラティブ・フェスティバル”や100BANCHでの活動についてもお伺いしました。
——まずは、「KaMiNG SINGULARITY」を終えた率直な感想を教えてください。
雨宮:疲れましたね、とにかく(笑)。イベントに来てくれた方が、どういう風にシンギュラリティ以降の未来を想像しえるかというのが問い。そして、その問いへの仮想解を作っていくことで想像拡張をする試みだったんですけど、そもそもシンギュラリティという言葉自体が、人間が想像し得ない概念の極致みたいな意味合いでしょう? 不可能に近いところからのスタートで、心身共に限界を感じましたね。忙しすぎて開催前の3日間は食事ができず、ほとんど断食状態。かなり死に近い状態だったのかもしれません(笑)。
——人間の限界を体感するという貴重な経験も、今回されたわけですね(笑)。
雨宮:小説家の梶井基次郎も、「良い文学は肺病にならなければ書けない」みたいなことを言っていましたよね。ギリギリまでその域に追い付こうと、追い込んで当日を迎えてみたんですけど、結果、反動がすごかったです……。これまでにも様々なフェスをやってきましたが、今回が一番大変でした。技術的にも表現的にも初めての試みだらけでしたから。
——フェスの出演者、出展コンテンツはどうやって決めたんですか?
雨宮:ライブの出演者に関しては、2045年の音楽を想像した際、AIとともに人間が作っていく新しい音楽の形がまず浮かびました。でも逆に、ずっと昔からある音楽もきっと26年後=2045年に残っているんじゃないかなと。そして、技術と身体性が融合するスタイルもあるだろうと。それら3つの視点で考えて、それぞれに当てはまりそうなアーティストにお声がけしました。アート作品と出店ブースに関してはほぼ全て公募。選考基準としては、2045年にその作品やブースが存在しているまでの物語を描き切っていることが条件でした。作り手の持つ世界観を基準に選んだ結果が、コンテンツの多様性を生んだのかもしれませんね。
——実施にあたって、特に苦労された点は?
雨宮:神や宗教を扱うということへの難しさはありました。すごく具体的に言うと、プレスリリースを配信した時のメディアの反応が芳しくないっていう(笑)。怪しいイベントだと思われて、なかなか取り上げてもらえず、プロモーションに苦労しましたね。あとは、イベント開催にあたりその前設定となるよう小説を書いたんですが、僕の想像した2045年像や、そもそも神とは何だっていう意味合いを周りのメンバーに共有していくのが難しかった。概念なんて人それぞれ違うもの。だからこそ丁寧にやらなければいけないと感じました。
——フェスに登場するコンテンツも小説と一部連動していたんですよね?
雨宮:はい。出店が決まったブースにまつわる内容やアイデアなど、フェスの準備中に加筆した部分もあります。物語のギリギリのところまでウェブで公開していて、完結部分はイベント会場に張り出していたんですが、本当の意味で完結したのはフェスが終わった後。フェス終了後の気持ちや精神状態をそのまま文章にしたかったので、最後の最後でさらに文章を加えて締めることにしました。ここまで追い込まないと書けない文章になったので、価値はあったと思います。
——小説に登場した「サイバー神社」はすごく象徴的な存在ですが、ある種の脅威を感じました。小説の中では、「人類存続のため、無用な人から順に消えますように」という願いをもとに、「有益な変化を生まなそうな人間から減らし、人口を52%減らすのが最適解」という判断がAIからなされます。これはディストピア的な結末のひとつでは?
雨宮:小説に関しては、僕がネクラなのもあってかなりニヒルな部分が出てしまっていますが、イマジネーションを刺激するにあたっては、ユートピアよりも強烈なディストピアの方が活性化される気がしているんです。ハッピーエンドよりダークエンドの方が、「なぜこうなってしまったんだろう」と、自分ごととして捉えやすいのかなと。だけど、もうひとつ僕が問いたかったのは、果たしてこれって本当にディストピアなのかということ。人口が半分減るって聞くとあからさまにディストピアっぽいけど、100年後から見ると人口が減ったおかげで人類が生き長らえたと思えるかもしれない。食料が平等に分け与えられて、生物の多様性が保たれて、色々な恩恵が未来にはきっとあるわけですから。どの視点や次元から見てそれがディストピアなのか、はたまたユートピアなのか。なのでフェスとしてはどちらとも描かないように、すべての物事が相対性を持って存在しているように作りこむことを意識しました。
——善悪の判断は見方によって異なると。
雨宮:時代によっても価値観が変わりますよね。未来で温暖化が進んで、居住区や生産地が海に沈み、食べ物も土地もどうにも立ち行かなくなり、このままでは人類は絶滅するという世界が来たとしたら、人口を削減することが善なのか悪なのか、もはや二元論じゃ語れなくなると思うんです。そうなる前の予防こそが必要だし、世界を嫋やかにドライブしていくには、善悪の彼岸に立ち、身体性と共感を持ってイマジネーションできる力をできるだけ鍛えておくこと。柔軟かつ“いい感じ”の判断ができるように筋トレしておくんです。AIは最適解を出すことができるけど、いい感じの未来は移ろい続ける感性の主体たる私たちこそ、捉えることができるものですから。
——様々な肩書きを持つ雨宮さんですが、ここで活動内容を改めてお伺いできますか?
雨宮:肩書きとしては今、「体験作家」を名乗っていて、仮想の世界を描いてそれを1日だけフェスとして具現化するのが活動内容です。そしてこのフェスのことを“スペキュラティブ・フェスティバル”と呼んでいます。直訳すると「投機的娯楽」で、つまりは問いをデザインし遊びを哲学すること。目的は最大多数の最大想像です。あとはサイレントディスコといって、専用のワイヤレスヘッドホンを装着して楽しむという、周囲からみたら無音状態に感じられる音楽体験の専門事業「Silent it」を5年前から続けていたり、コンセプトデザインや企画の仕事をしたり、DJやサウンドファシリテーターとして活動したりと、様々な活動を行なっています。
——雨宮さんのフェスは、SDGs(持続可能な開発目標として挙げられる国際目標)を目指すのではなく、それが達成された後の世界を描いていると伺いました。
雨宮:そうですね。SDGsそれぞれのゴールからターゲットを選び、そのターゲットが解決された後の未来を考え、それを1日だけフェスの中で体験することを「ソーシャルフェス®︎」というプロジェクト名で行なっています。SDGsと言うと究極的にマーケットインっぽい印象ですけど、完全にプロダクトアウト。未来なんて誰にも予測できないけど、とりあえず描いて体験してみて、その結果が良かったなら課題が正しかったと思えるはず。課題は、解決後に良い世界が待っているからこそ課題足り得ているというのが僕の考え方です。課題自体を啓蒙してくのではなく、未来への希望による引力で壁を超えていく方が、活力が生まれやすいんじゃないかと思います。
持続可能な生産と消費を”泥の国”いうコンセプトで畑で開催する”泥フェス”「Mud Land Fest」の様子
絶滅危惧動物のお面をつけて祀る「Neo盆踊り」の様子
——スペキュラティブ・フェスティバルの発想に至った経緯は?
雨宮:以前、SDGs的な課題のクリアを目指す活動をしていたこともあったんですが、その善悪の彼岸に立った時に、それが本当に正しく良いことだと胸を張って言えなくなってしまった時期がありました。じゃあ、自分にできる最適なことって何だろうって考えた時に、何かを目指すのではなく、何かが訪れた時、新しいコンテクストが世界に生まれた時に、出来るだけ柔軟で優しい形で考え行動していく土壌を作り耕すことだと思ったんです。土壌とはつまり文化。イマジネーションし続けられる持続可能な文化が必要だと感じました。あらゆる概念の根底には想像力が必要で、だからこそ多様な概念が成り立ち、自分たちの社会が生きている。それをできるだけ痛みの少ない形で最大化する方法が、フェスティバルカルチャーの中にはあって、グラストンベリーから始まったフェスの文脈を引き継ぎながら、スペキュラティブデザインの要素を加え、「スペキュラティブ・フェスティバル」という概念を作りました。
——100BANCHに入ったきっかけは?
雨宮:入ったのは2019年の1月。「MUSUNDE HIRAITE」プロジェクトの菅本香菜さんが主催していた「未来コンビニ会議」というイベントで100BANCHを訪れた際、3階のイベントスペース(LOFT)を見てすごく良い場所だなって思ったのがきっかけ。「どうやったらこの場所を使えますか?」って100BANCHのスタッフに聞くと、「GARAGE Programに参加すれば無料で使えるよ、あと2日で締め切りだけど」って。その日のうちに応募して、合格して今に至るという流れ。動機は「『KaMiNG SINGULARITY』のためにこの場所を使いたかった」というシンプルなものでした(笑)。
——入ってみてどんなことを感じましたか?
雨宮:入ってよかったと思わせてくれるコミュニティや文化がありました。その中でご縁があった方々には、今回のフェスにも出店(「The Herbal Hub」/「Heal the world」のエリクサーバー、「Inoca」の惑星サンゴなど)してもらっていますし、メンターの横石崇さんや楠本修二郎さんにもアドバイスを頂いたりしています。ここには、(100BANCHが掲げる)「100年後の未来をつくる」というコンセプトに賛同している方しかいないと思うんですけど……実は僕、100年後には今のニーズなんてどうでも良くなってしまってると思うんですよね。
100BANCHのプロジェクトの中には、世間のニーズに沿うものではなく、アート的で内発的な衝動によって突き動かされているもの、エゴイスティックなまでにプロダクトアウトしているものも多い印象だから「KaMiNG SINGULARITY」の「勝手に未来を描き切る」というスタンスと、すごく相性が良かったんです。これだけのコラボができたのも100BANCHだからこそ。おそらく既存のアクセラレーション施設とかだと、こうはいかなかったんじゃないかな。
——「KaMiNG SINGULARITY」開催にあたり、100BANCHで3回のプレイベントを行なったそうですね。
雨宮:はい。印象的だったのは2019年3月に行ったアイデアソン(「Kaming Dialog 2 – aiが神になった世界のアイデアソン –」)。参加者には2045年に存在するコンテンツの案をイメージして出してもらったんですが、予想に反して意外とエモいのが多くて驚きました。効率化や利便化を測るためのアイデアが多く出てくると思ってたのに全然違ったんです。参加者全員がそれぞれ出した案から上位5つを投票しチームビルディングをするという流れだったのですが、選ばれたのは全てエモい系で。自分の心象風景を人に共有できるツールとか、クジラの鳴き声を翻訳するツールとか、今より便利な世界を作るためのものではなく、感情や気持ちの繋がりといった根源的なものを求めるアイデアが選ばれていました。どの時代よりも多くの人たちと繋がっている現代ですが、その繋がりの希薄さこそが問題なのかもしれませんね。
——雨宮さんの原動力とはなんでしょうか?
雨宮:何なんでしょうね(笑)。何かで世界を変えるみたいなThe起業家的なスローガンは持ち合わせていないんですよ。そもそも変えるべき世界の輪郭が明確な世界なんてどうなんだろうって。課題という概念は観察の焦点をどこにするかということによると思うので、個としての課題観はできるだけ持たないようにしているんです。原動力というか、一言で言うなら「業」なのかも。フェスはやる度にもう絶対やんないって思うくらい大変なんだけど、それでもやってるし新しいアイデアも思いついちゃう。もうこれは自分の業なんだと思って諦めるようにしています。
毎回のテーマに関しては、まだちゃんと考えたことがないけど、しっかり考えておきたいことを挙げています。今存在しているものを常識として捉えるのではなく、自分の肚(はら)に落としてから受け入れたいという思いがあって。これがモチベーションになっているのかもしれませんね。ちなみに、次回は「時間」を取り上げてみたいなと。まだアイデアとしては全然ですが、時計の針と違う時間軸を自分で選んで体験していける、そういう仕組み作りができないかなと思っています。
——「時間」というテーマもすごく壮大で奥深いですね。どんな内容になるのか楽しみです! ところで、このようなフェス作りを続ける先にある雨宮さんのゴールとは、どのようなものなんでしょうか?
雨宮:フェス作りって居場所作りに近いんです。今ここにない世界を1日だけ共同体験し、オルタナティブな世界の体感を広げていくことで、人生意外と悪くないという希望を増やしていきたい。規模感を膨らませた方が商業的には良いんでしょうけど、そうなると10人だと課題として感じなかったことが1000人だと課題に感じてしまうようなことが起こり得てしまう。そういう消耗は仮想世界に没入していく上で不要な要素だなと思うし、集団意識があるとクリアな思考がしずらくなるので、数はむしろ抑えたいですね。人間の脳が一生で記憶できる人数は150人までと言われてるんですよ。なので、そのくらいの規模のフェスを出来るだけ色々な種類を作りっていきたいですね。それらが不定期にでも続いていくことが、自分を含め、今の世界に生きづらさを感じている人たちにとっての逃げ場を作ることになると思っています。
ただ、ひとつだけ大規模でやりたいと思っているのは、2036年に日本で起こる皆既日食の日に催す太陽祭。2017年に開催された「Oregon eclipse」という世界規模の皆既日食のフェスに参加したんですが、太陽祭だけ10万人とか100万人の規模でも成立するんだと感じました。そもそも太陽は“祀り”の原初ですし。あとは、豊島美術館のようなビジュアルの建造物を作って、そこでシェア隠居をするようなプロジェクトを進めたり、フェスの世界観やカルチャーを形にした独立国家的な居住区も作りたい。世界を変えるのは難しいけど、作ることはできます。それをフェスという最小スケールで実験して、哲学を深め、解像度を高め、感性を鮮やかにしていうことで、いぶかしみといつくしみと共に変化し続けられる社会の土壌を”そうぞう(想像・創造)”していけたらと思います。
(写真:朝岡 英輔)