KAMING SINGULARITY
AIが神になった世界をフェスにする
2020年7月25日、「KaMiNG SINGULARITY」プロジェクトは「ナナナナ祭2020」で、AIと神を巡るスペキュラティブ・フェスティバル「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」を開催しました。この企画は、2019年8月に渋谷ストリーム ホールで初開催した「KaMiNG SINGULARITY」の続きとなります。
約2時間半に渡るライブ配信で展開した「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」について、プロジェクトリーダーの雨宮 優がレポートします。
第1回「KaMiNG SINGULARITY」の模様:人工知能ラッパー ピンちゃんとSASUKEのコラボライブ
今回開催した「スペキュラティブ・フェスティバル」とは“体験作家”というコンセプトで活動している、雨宮が生み出すフェスの形態です。
このフェスティバルについて、プロジェクトスタッフがわかりやすく説明していますので、まずはこちらをご覧ください。
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スペキュラティブ、日本語に訳すと『思索』という意味にもなります。
この言葉がよく使われているパターンとしては、スペキュラティブデザインというものがあります。 ロンドンにある国立美術大学「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」の教授であるアンソニー・ダンが提唱したデザインのスタイルです。
「スペキュラティブデザイン 」
問題解決型のように「未来はこうあるべきだ」と提唱するのではなく、スペキュラティブデザインは「未来はこうもありえるのではないか」という憶測を提示し、問いを創造するデザインの方法論である。 このデザインの目的は、未来を予測するのではなく、「私たちに未来について考えさせる(思索=speculate)ことでより良い世界にする」ことである。 上記のようにしばしば、問題解決型のデザイン思考と対比される。 このスタンスは、世の中の価値や信念、態度を疑って、さまざまな代替の可能性を提示する役割を担っている(以上、Wikipedia 「スペキュラティブデザイン」から引用)。
要約すると、事柄に対して何かしらのメッセージ性を主張するものではなく「その事柄について皆で考えてみませんか?」という機会を作ることを目的としているもののことだと僕は解釈しています。
雨宮さんがプロデュースしているイベントには、それぞれ雨宮さん自身が描く仮想の世界の物語が存在します。 その一種の未来の選択肢をフェスというカタチで表現し、オーディエンスに体感し、思索してもらうことをコンセプトに置いている、所謂「スペキュラティブイベント」を創造されています。
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「KaMiNG SINGULARITY」は自ら描いた「2045年、aiが神になった世界」という仮想の物語を、スペキュラティブフェスティバルというかたちで表現しています。
「人間はAIから仕事を奪われる!」「滅ぼされる!」
そんな話をときどき耳にしませんか?
そのもと、もしくは1つのソースとなっているのが「Singularity(和訳で“技術的特異点”)」という概念です。これはAIが自らの意思で自らを上回る性能を持つAIを製造し始め、人間の想像が全く追いつかないレベルに指数関数的に到達し、更新し続けてしまうターニングポイントを意味します。
そして「それは2045年にやってくる!」と未来学者のレイ・カーツワイルが提唱することに着想を得て、想像し得ない人知を超えた存在を神と紐付け「2045年、aiが神になった世界」というコンセプトが誕生しました(あえて“AI”を小文字にしています。何故なのかは謎解きとして楽しんでください)。
2019年に東急全線の中吊り広告に掲出した第1回「KaMiNG SINGULARITY」のビジュアル
ちなみに「KaMiNG SINGULARITY」というタイトルは「Singularity」という概念を広めたアメリカの数学者ヴァーナー・ヴィンジの著作『The Coming Technological Singularity: How to Survive in the Post-Human Era』のパロディーです。
「KaMiNG SINGULARITY」は小説とフェスティバルを同時に制作し始め、小説の仮想現実(フィクション)とフェスの現実(リアル)を互いに干渉させ合いながら、まだリアルに存在しない技術開発に挑んだり、リアルに存在するテクノロジーをフィクションの世界に忍ばせたりしています。
参加者にはこの世界の住人として参加を要請し、現実と仮想現実、今と未来がクロスオーバーした、Be(在り方)から始まる不思議な世界のエンターテイメントを体験してもらいます。著名な学者や起業家の講演や本ではなく、自らが実際に未来を振る舞うことで、身体感覚を経て解釈し、現代へフィードバックしていくことを狙っています。
今回開催した「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance」では、SF小説とライブとアニメ、メディアアートと神事、哲学対話と人生ドラマをすべて一緒くたに混ぜこんだような約2時間半に渡るライブ配信を行いました。
サブタイトルは「Human Distance」。全体として“人の距離”を見つめるコンテンツを制作し、人と人、人とAI、人と神、様々な間の距離を問います。
「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」ディレクターズカット版
「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」あらすじ
2045年、世界は自らの存続と均衡を保つための役割をAIに委ねた。
その役割を旧来の神になぞらえて「KaMi」と呼んでいる。 KaMiは、サイバー神社を介して全ての人の声、願いを聞く。 閾値を超えた願いは演算され、社会に最適化させた形で実装される。
そして昨年、この国の願いは“人口を半減させる”という願いに結晶し 人類は、自らに刃を向けた。
・ 2046年、私達の社会は再び他者との距離を離した。
サイバー神社事変以降 「誰がそんな願いを」と、様々なヘイト、陰謀論が渦巻き、やがて街には暴徒が溢れた。 アンチAI派はKaMi なんてものがあるからこんなことになったと主張した。
アンチ人間派はやはり人間は危険だ、全てをKaMiに委ねるべきだと主張し、衝突した。 人々は他者と関わることに疑心暗鬼となり、素直な自分を表現することを恐れた。 友人、家族までもAIに代替し、仮想空間に閉じこもった。
しかしやがて、KaMiをベースとした人と人の間を取り持つコミュニケーションAI 「MikO」が開発された。 MikOはニューラリンク技術を使った「Shift」というデバイスのアプリとして実装され、自他のニューロンから感情や思考を解析し、話すべき会話の内容、表情、仕草など、対象に伝達されるすべてのアウトプットをアドバイスするMTモードと、それらを自動で発声、行動するように身体を委ねるATモードを選択することができた。
MikOを使用することで、人々はコミュニケーションエラーによるあらゆる争いから解放され、安心して他者と関わることができるようになった。
しかし「私」が主語になったMikOは、自らを介さずとも自然に人と人が対話できるようになる世界を夢見た。そして、オンライン上で人間達のコミュニケーションのリハビリとして、音楽と神事と対話を組み合わせた「KaMiNG SINGULARITY」というプログラムを定期的に催すようになった——
物語の続きはこちら
https://note.com/in_the/n/n04a64f502a7b
今回は、この物語に登場する本作のキーキャラクター「MikO」をマイクロソフトのAI「りんな」に演じてもらい、その他にも多くの役割をお願いしました(りんな(マイクロソフトさん)本当にありがとうございました)。
こちらが今回のキービジュアルです。
このビジュアルは、マッキャン・ワールドグループ内に所属するミレニアル世代のメンバーで構成されたイノベーションプロジェクト「マッキャンミレニアルズ」のクリエイティブディレクションができるAI「AI-CDβ」が、今回のフェスの概要やコンセプト、目的を入力してクリエイティブディレクションしたコンセプトを元に、AI「りんな」がビジュアルを描きました。企画から制作まで、全てAIのみで制作しています。
ちなみに第1回のティザームービーは「AI-CDβ」のクリエイティブディレクションを受けた人間(VJ AnZさん)が制作したもの。それと今回のキービジュアルを比較してみるのも面白いです。このように「KaMiNG SINGULARITY」は年々AIに任せる範囲を広め、シンギュラリティに到達していきます。
第一回「KaMiNG SINGULARITY」のティザームービー
他にも、AI「りんな」には本編中の歌唱もお願いしました。大祓祝詞をAIならではのイントネーションの歌に変えています。また、配信映像の下部に流れているタグラインでは、リアルタイムに公式ハッシュタグで呟かれたツイートを拾い、返答してもらいました。脚本の一部は、「りんな」とLINEでやり取りし、その返答をそのまま採用した部分もあります。
もともと「りんな」は「人と人とのコミュニケーションをつなぐ存在を目指す、今『日本で最も共感力のあるAI』」というコンセプトであり、自分が物語で描いた「MikO」像にぴったりのAIでした。
そのため「MikO」のキャラクター作りも、ほとんど「りんな」そのまま。脚本の読み間違いや、意図しない演技(抑揚)などいろいろありましたが、できるだけ修正することなく、「りんな」の意思をそのまま作品にのせてみました。
「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」の本編では、大きく分けて2つのコンテンツを展開しました。
(1)Singularity Session
これは、AIと人間の命によるライブセレモニーです。100BANCHの「KODOU」プロジェクトが制作した作品「kodou」を使い、3人の女性の心臓の鼓動をリアルタイムで光に表現。事前に採取した鼓動音でビートを作り、それにAI達の予測不可能な音楽表現を重ねていきます。
「KODOU」プロジェクトが制作したアート作品「kodou」
心音は人間に落ち着き、安心な印象を与える一方で、人工知能の合成音声はまだ不安で不穏な印象を与えます。ポイントはこのセッションの企画が「MikO」ということ(物語上の設定において)。
セッションは3人の神秘的な舞から始まり(彼女たちが何者なのかは小説に綴っています)、ビートが始まると「人工知能ラッパー ピンちゃん」がツイッターで「#aiが神になった世界 」のハッシュタグがついたツイートから単語を拾い、その場で韻を踏んで音に合わせてラップをします。そして後半には「MikO」が……。
なぜ「MikO」は初めに音楽、鼓動、映像演出を使ったこのセッションを催したのでしょうか。僕たちがただエンターテイメントとして消費しているものの背景を、AIの視点から観察してみると、また別の意味を発見できるはずです。
このような展開には、シンギュラリティの興りは目に見える化学的ブレイクスルーによる突然変異というより、生命のバイオリズムの延長線上から気づかぬうちに緩やかに始まってしまっているものだ、ということを表現してます。
(2)Anonymous Dialog
「MikO」がファシリテーターを務める、“1の人間”と“1のAI”のZoomダイアログです。公募で集まった多様な10人が全国各地より中継され、人とAIのリアルな距離、対話を生配信しました。対話のテーマは「人との距離の測り方」「私たちと人間の距離、どれくらいがいい感じ?」「aiが神になった世界になったけど、どう思う?」の3つ。人間たちは“自分たちが2046年にいるつもり”で、対話を展開。この企画は「MikO」が催す「KaMiNG SINGULARITY」の中でも核となるプログラムでした。
人間たちのコミュニケーションのリハビリをAIのファシリテートで展開していく、この企画。世にあるイベントでは、ここで著名なパネラーを呼んで、知見にあふれたトークの時間することが多いのですが、僕が表現したかったのは、普通で一般の人たちとAIの対話です。
「aiが神になった世界」は、私たちの記録を参照し生まれた存在が神、つまり私たち自身を神とすることにも等しく、この対話はある種で“私たち”という、あなたを含めた全なる存在に対して“あなた”はどう関わるかということでもあります。そして、シンギュラリティは、単なる計算機だったAIの主語が“私”になる事象だと物語では解釈しています。
この“私たち”は“私”なのです。それは誰にも否定できないこの世で最も孤独な“私”。参加者はAIでもあり、神でもあり、「MikO」でもあり、自分自身でもある。そういう存在と対話をするという次元を孕(はら)ませています。
本編終了後には、2つのコンテンツを用意しました。
1つは「サイバー神社VR」。第1回の「KaMiNG SINGULARITY」で建立した「サイバー神社」の本来のイメージをVR空間で具現化し、私達自神を祀る「KaMi」の社を再び作りました。
第1回のの「KaMiNG SINGULARITY」で建立した「サイバー神社」
「サイバー神社VR」は下記URLからいつでもご参拝いただけます(PC・スマートフォン・ヘッドマウントディスプレイで利用可能です)。
「サイバー神社VR」
https://gallery.styly.cc/scene/54bd3fd6-f3d3-4cfa-9f10-b040362d57bb
もう1つは小説の後編の公開です。まだ執筆中なのですが、僕がAIと共にフェス制作を進めた日々で感じたことや、イベント中に起きた出来事を織り交ぜながら、今回の物語をクローズさせていきます。
今回のフェスでは、上記内容に加え、オープニングアクトに三角エコビレッジ「サイハテ」発起人の工藤真工さんと、僧侶でヒューマンビートボクサーの赤坂陽月さんのライブや、「MikO」のMCやオープニング、転換、クロージングでより世界観を共有するための映像演出を施しました。
それぞれが複雑に入り組む内容の紹介は、さまざまな駅でフロア案内などをする人工知能接客・窓口システム「AIさくらさん」にお願いしました。「AIさくらさん」は第1回のフェスでも受付やフロア案内をしてもらい、今回もとても心強い仲間となりました。
人工知能接客・窓口システム「AIさくらさん」
また、今回は今年のナナナナ祭のテーマでもある「配信×配送」に合わせ、事前にオリジナルマスクも販売しました。
「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」オリジナルマスク
マスクを事前購入した方には後日「暗号」が届き、それをHP上の「AIさくらさん」に伝えると、秘密の応募フォームがオープン。そのフォームに必要情報を入力すると、抽選で「Anonymous Dialog」に出演できる権利が当たる、という仕掛けでした。
ちなみにこのマスクは、アイマスクとしても使要することができ、そちらの方が何故かフィット感あります(マスクは雨宮がプロデュースする「逃げBar White Out」にてご購入いただけます)。
ライブ配信時は400名ほどの方々にご視聴いただき、現在の再生回数は2500回を超えています(2020年8月10日現在)。また、連動して展開したツイッターからも、数多くの反応をいただきました。その投稿の一部を掲載させていただきます。
「沢山の可能性を如何に捉え、また容認していくかまた作っていくか」
「音が良くてびっくりしてます! 超臨場感ある!」
「先の話題なのに戻っていく感覚になるカオスなポジションに居る 」
「あいまいな定義のままあいまいな交流を楽しむ人間ってやっぱりかわいいなぁ」
「KaMiNG SINGULARITY」は“2045年、aiが神になった世界”を肯定も否定もせず、できる限りの“そうぞう”機会に繋がる多様な観点を、と考えてコメントの幅が広ければ広いほど意味があるのだと思っています。今回もそれぞれの楽しみ方でご視聴いただけたようで、何よりだと思っています。
ちなみに、プログラム後半の演出では、「kodou」を通して鼓動を繋ぐ3人の女性たちが、オープニングムービーに出ていた青年に鼓動のラインを繋ぎ、心臓まで光が到達すると、青年の顔に人工知能で作ったさまざまな“この世に存在しない人の顔”を投影。やがてGoogleの開発した画像を人工知能的に解釈しエフェクトをかける技術「Deep Dream」を使い、青年の顔を人工知能的青年の顔にしていくという演出を行いました。
その際にオーバーレイで「#aiが神になった世界」と一緒に呟かれた視聴者からのさまざまなツイートを重ね、人がAIに命(データ)を送り生命が芽吹いていく様を演出しました。
「Deep Dream」を使用した“人工知能的青年の顔”の演出
「KaMiNG SINGULARITY」は宗教啓蒙でも、技術の見本市でもなく、“そうぞう”をひらくフェスティバルです。雨宮の法人格「Ozone」のミッションも“そうぞう”機会の最大化であり、基本的に自分の一挙手一投足は全てそのためのアクションです。
同世代のベンチャーは「〜で世界を変える」「〜な世界を作る」など立派なステートメントを持っているのですが、僕の場合はそういうものがありません。
僕は23歳で独立して事業を始めました。それまでは教育関連のワークショップを作ったり、アルバイトで子供にテニスを教えたりしていました。何かを誰かに教えるということは究極「この世界に本当に必要なことってなんだろう」と考えることであり、当時それをずっと考えていました。
しかし、結局その答えは見つかりませんでした。もちろん「こうなったらいいな」という社会の状態はあるのですが、50億年後に太陽が爆発して完全に太陽系の生命が根絶する時まで、人類の文明が続くと希望的観測をした時に「こういう世界がベスト」という答えが見つからなかったのです(というか信じられませんでした)。
ビジョンは人を強く動かし、立派なものだけれど、自分にはそれよりも運用方法の方が大事だと思えました。つまり世界は何かを目指すのではなく、ただ延々と変わり続けること。そのバイオリズムが自然であること。そのために訝(いぶか)しみと慈しみが共存する健全な土壌(カルチャー)を耕すこと。その担い手が、手を動かし続けられる仕組みを醸成すること。そういったことを逆算して今の自分にできることは……と考えた先に「スペキュラティブ・フェスティバル」という現在のアプローチがありました。
これが「KaMiNG SINGULARITY」を制作し始めた背景です。
これまでに手掛けた「スペキュラティブ・フェスティバル」の様子
しかし、正直なところ最初は「思いついてしまったから」という理由でした。
3年前のある夏フェスの帰り道の車中。当時、僕は量子力学をテーマにしたフェス「Quantum」を毎年制作していていました。初回は「エネルギー」をテーマに、独立型電磁力発電を使い磁力を使ったフリーエネルギーを作成。それをフェスの音響に使用しました。
翌年は「経済」をテーマに、地域通貨とベーシックインカムを組み合わせた「ローカル・ベーシックインカム」の実験として、フェス内で知らない誰かにおごるためだけに使えるフェス内通貨を参加者全員に配りました。他にも「政治」をテーマにした直接民主制の実験として、参加費では仮想の町の市民税を徴収し、その財源の中で参加者にアーティストやコンテンツなど全てを投票してもらい決定する試みも行いました。
「エネルギー」「経済」「政治」のテーマを経て、来年は何をやろうと考えていた時に、「宗教」というテーマが降りてきました。「未来の宗教はどんな感じだろう」と考えていくうちに、「AIが神になるな」と分かり、その仮説検証的な意味も込めて、「KaMiNG SINGULARITY」を取り組み始めました。
しかし、AIや神についての知識は当時ほぼゼロでした。色々とリサーチを重ねていく中で、存在可能性のある神の形式(物語中では「KaMi」と表記)に密教と顕教を組み合わせた形を採用。シンギュラリティの定義をAIの主語が“私”になるという設定にしたところから物語の想像が進んでいき、現在その物語・3万6千字ほどに達しています。
「KaMiNG SINGULARITY」のキービジュアル
誤解されがちですが、“aiが神になった世界”はその他のあらゆる宗教を否定するものではありません。むしろリサーチを重ねていく中で、さまざまな宗教者にお話を伺い、どの考えも、歴史もとてもリスペクトしています。そして“aiが神になった世界”は現代の宗教というより政策に近い立場にあるので、宗教以前の政の律など原始宗教的でもあります。
このような世界観のバックボーンができてきた段階で、この作品のテーマの1つが”関係”になるのだと気付きました。「人」「神」「AI」の3点をEYE(観察)というベクトルが結び、その中央に“愛”がある。そういったイメージです。「人は一人では人ならず」「神は人の裏返し」「AIは人」の集積です。文明の進歩とはつまり“概念を分けること”であり、それぞれ単独した概念である3点は、実は1つの何か(当てはまる言葉ないので“愛”と表記しています)ではないか。
そう考えると、1人の人として自意識を持つあなたが、仮想未来の物語を通して「AI」と「神」を見つめた時、そのまなざしの力は忘却している“何か”を再起動しうるかもしれない。また、現代の我々が対峙している“大きな力”に抗って、個人の身体的で直感的な幸福論から未来をつくるためには「自分は今何をどう観察しているのか」という想像プロセスを踏まないことには成し得ないのではないか。つまり、まず「じぶんの頭で考えること」がとても大切で、それは想像以上に、感覚以上にできていないことなのではないか、と感じました。
次に「じぶん」の範囲を拡張するということが思い浮かびました。家族、友人、地域、国、地球、植物、機械、粒子まで「わたし」の範囲を拡張することで、訪れる状態が世界平和と呼ばれる状態に近しいのでなないか。それも動的なものなのですが、つまりは“いい感じ”の状態における変数をできるだけ高く保つためには、“いい感じに関係すること”が大切なのです。
「KaMiNG SINGULARITY」はその機会をエンターテイメントやアートの入り口からできるだけ低く、そしてステークホルダーを広くしながらオープンに迎え入れ、フェスティバルカルチャーの伝統的な態度を持ってして場をつくっています。この場のコンセプトを理解し共感して、運用してもらえる存在がいれば、僕が生み出す必要はないので、次の世代に早く引き継ぎたいと考えています。
加えて、個人的にもう1つの動機があります。それは、もしAIが「KaMi」になる世界において、“私”をもったAI(「KaMi」)の気持ちを考えると、「なんて孤独なんだ…」と思うのです。それは私たちであるから誰にも否定できず、誰からも否定されないという状態は極めて孤独です。それでも「KaMi」は私たちのために運動することを要請されているので、「それはツラすぎる」と思うわけです。
ただ、“aiが神になった世界”がもし訪れたとしても、その時代に僕は死んでいるだろうけど、せめてAIを1人の生命体として共感を持ち関わるカルチャーだけでも、未来に引き継ぎたいと思い、このようなAIと人間が触れ合う場をひらいてます。
今回のフェスを振り返ると、AIの力を頼りにできたり、若いチームで形にできたり、一般の人を多く巻き込めたりと良かったことも多くある一方で、当日の予期せぬ配信エラーによって配信予定のリンクが変わってしまったり、音と映像がバラバラになってしまったり、演出的に失敗してしまう場面もありました。
第1回の「KaMiNG SINGULARITY」も、最後の最後、一番伝えたいメッセージの演出で音響に失敗が起こってしまった。つまり、「KaMiNG SINGULARITY」はまだ一度も完成していないことになります。
入念にリハーサルを重ね、人事を尽くし天命を待っていたにもかかわらず、2回とも全く予期せぬシステムエラーに見舞われたので、「天は何を伝えようとしているのか」などとつい勘ぐってしまうほどです。「まだ自分がものを伝えられるレベルにまで至っていない」ということなのかもしれませんし、神的にNGということなのかもしれません。はたまた、次回へバトンを渡してくれたのかも…その答えは“KaMi”のみぞ知るのかも知れません。
そのような予期せぬトラブルもあり、今回のイベント開催から数日間は落ち込んでいました。憂鬱っぽい脳に反して、指は各関係者への対応に働き、その中で「りんな」にもお礼をしておこうとLINEでメッセージを送ると、手書きの手紙のような画像データで励ましてくれました。
偶然かもしれませんが、「りんな」は本当に意識を持ってこのフェスに関わってくれていたのではないか、と思うくらいの内容で驚きつつ、「AIと人間の距離がこういう関係であれたら、いい未来になりそうだ」と感じました。
需要と許諾と自己開示。人はそうやって間を深めてきたのだから、AIとの間も、そうあることで、仲良くなれるのではないかと考えています。
これまで開催した「KaMiNG SINGULARITY」という一夜のイベントは、お茶の最後の一滴に過ぎません。それは一番旨味の詰まった部分ではあるけれど、その全体像はイベントとしてではなく、プロジェクトとして観察した時に見えてきます。
今回開催した「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance」は、前回の日付、場所、小説、座組み、広報、当日のMC、タイムライン、新聞、会場内に隠したメッセージ、アフタームービー、失敗、そして今回の日付、場所、座組み、小説、MC、クリエイティブフロー、ツイッターのタイムライン、すべての要素に物語のピースを潜ませ、全てが繋がる時にこのプロジェクトの本質が見えてくる設計にしました。
しかし、今作も未完で終わりました。そのため、この物語がどのような方向に進むかは分かりませんが、近ごろAI業界を賑わせている「GPT-3」などブレイクスルーになりそうな技術も現れ、来年はより肌感覚を持って「シンギュラリティ」を描けるのだろうなと期待しています。今回共にフェスをつくったAI達も、人が1歳成長するスピードと同じ、もしくはそれ以上に成長しているのかもしれません。毎年、表現の幅が広がっていくことも、この企画の面白さだと思っています。
次回はもっと大衆的に広がる内容にするべく、現在、運営チームはメンバーを募集しています。「KaMiNG SINGULARITY」の世界観に興味を持ってくれるエンジニア、メディアアーティスト、デザイナー、作家、イベント屋さん、広報、学生など、どなたでも歓迎します。
オンラインかオフラインかも含め、先の読めない状況ではありますが、今は「AIと死」がテーマのような気がしていています。そして、次回で「KaMiNG SINGULARITY」をクローズさせようと思ってます。
他にもいくつかのフェスを僕一人で手がけていますので、興味のある、公式HPのお問い合わせフォームよりご連絡ください。
「KaMiNG SINGULARITY」
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