
第3章:[AI×創造] AIネイティブが語る、これからの表現
AIは道具か、それとも相棒か。これを読んでいるあなたにとっては、どんな存在でしょうか。加速度的に進化する生成技術は、研究、創作、そして生活にも入り込みながら、人間ならではの感性や身体性を問い直しています。
「ナナナナ祭2025」初日のカンファレンスデー第3章では「[AI×創造] AIネイティブが語る、これからの表現」を開催。AIとともに育った世代=「AIネイティブ」たちが、生成AI以降の表現のあり方、オリジナリティの輪郭、そして「つくること」の意味がどのように変化していくか、探っていくセッションとなりました。その内容をピックアップしてお届けします。
登壇者 加藤優|HIZUMI リーダー/株式会社dot-hzm 代表取締役CEO 古山 寧々|Noah’s Ark リーダー 滝本力斗|The 21st century da Vinci リーダー 西谷颯哲|ToI Nexus リーダー/株式会社 ToI Nexus 代表取締役 堀口野明|classroom Adventures MOGURA リーダー/ 株式会社 Classroom Adventure 代表取締役 モデレーター |
── トークセッションは、登壇者のAIネイティブたちがそれぞれの活動について紹介するところからスタートしました。
堀口:僕は Classroom Adventureというゲーム型の授業を学校で展開したり、会社の研修を提供したりしています。アメリカで生まれ育って大学から日本に来たのですが、今でも日本語を書くのが苦手なので、大学の課題やメールなど文章を書く際はアシスタントのような形でAIを使っています。教材の絵もプログラミングもすべてAIを使ってつくっています。
西村:「チームメンバーは俺とAI」、みたいな感じですか?
堀口:そうですね、開発は1人でしていて、AIで画像をつくって、動画にするところだけ手動、みたいな感じです。
西村:なるほど、私は先週IVS2025に行ってきたんですが、やはりスタートアップのチームメンバーの数がどんどん少なくなっている、という話がありました。昔はリーダーがいてエンジニアがいてデザイナーがいて、みたいな感じだったのに、最近は「俺+AI」のような形でできてしまうということを感じました。
西谷:ToI Nexus代表の西谷颯哲です。詐欺電話を検知するデバイスをつくっています。きっかけはアメリカに短期で留学する際、ビザの申請を偽のサイトでやってしまい、僕自身が詐欺にあってしまったことでした。高専で日々AIなどについて勉強しているのに、そんな典型的なものにひっかかってしまったことがすごく悔しくて、そこからAIで詐欺を検知するデバイスを開発しています。
滝本:発明家のリッキーと申します。100BANCHでは「The 21st century da Vinci」というプロジェクトをやっていました。コロナ期間中にスマートマスクの開発をしていたのですが、だんだんと飛躍して、「そもそも発明って何なんだ?」みたいなところに飛んでいきました。最近は、発明文化研究機構を立ち上げようとしている最中で、世の中の発明と呼ばれるものを集約して次なる新しい発明の種にすることができないか、ということを主な活動にしています。
古山:私は100BANCHでは「Noah’s Ark」という月面にアート作品を送るプロジェクトを進めています。DNAを封入した極小の動物彫刻を制作し、それらをノアの方舟型の人工衛星に搭載して月に送り、展示する計画です。普段は、合成生物学の研究室に研究員として所属しながら、アーティストとして作品をつくっています。
加藤:「HIZUMI」というファッション × AIのプロジェクトをやっていて、具体的にはリメイクデザインという手法に着目しています。いま着ているのが実際にリメイクデザインで友人がつくってくれた服なのですが、服と服を組み合わせて新しい服にする手法があります。こういうデザインはゼロから服をつくるプロセスと結構違っていたりします。逆に身近にある服を組み合わせたらどうなるか、一般的なデザイナーじゃなくても考えられるところがすごく面白いなと思いまして。
僕は元々、エンジニアをやっていました。祖父が亡くなったタイミングで大量の背広が実家から出てきて、それを祖母がリメイクできるよと言ってくれたのですが、僕はデザイナーじゃないので、こういうふうにしたいとかデザインの要望を出すことができなかったんです。そこから、これってAIで生成できるんじゃないかと3年前にはじめ、研究開発もやりながらプロジェクトを行っています。
西村:では、皆さんが、普段どういう形でAIを使っているか、どのように向き合っているか教えてもらえますか?
堀口:僕は本当に日常的に使っています。AIなしでは、今やっていることもできないし、生きていけないくらいに頼っているかもしれません。何かやりたいと思ったときに、頭の中に最初に浮かぶツール、手段としてAIが浮かぶことが多いです。最近の僕のコンピューターには、3つぐらいAIのツールを開くショートカットがあったり、どんどん浸食されている状態で、夜寝る前までAIと会話していることもあります。
西谷:僕は普段、メールの文章やスライドの画像の作成を生成AIでやっています。学校の授業もAIで文字起こしをして勝手に要点をまとめてくれ、例題までつくってくれるので、先生の授業を聞くよりもAIでつくったものを見て終わり、みたいなこともあります。面倒なことは全部AIにやらせていますね。
西村:授業を受けながらAIを使って、先生の授業よりもAIで学んでいるって感じですか?
西谷:そうです。授業を聞いてわからない単語があれば、AIに入力して「小学生でもわかるように教えて」と言えば、すごくハッピーな例えで教えてくれたりするので、そっちの方がいいじゃん、と思っています。
西村:確かにそうですね。先週、万博でお茶会のファシリテーションをやったのですが、御軸に書かれた仏教の言葉などが当たり前のように飛び交っているような環境で、私もChatGPTなどに頼りながら進め、すごくありがたい相棒のような感じでした。でも、そうなると学校って何が楽しいんでしょう?
西谷:今取り組んでいる詐欺検知のプロダクトは、僕だけじゃつくれなかったなあと思っています。会社を3人でやっているのですが、高専だとデザイナーやエンジニアの卵のような人がたくさんいるので、そういった仲間を集められる場としてすごくいいなと思っています。
西村:ありがとうございます。では、リッキーはどんな形でAIを使っていますか。
滝本:主な用途としては、リサーチが一番大きいかもしれません。最先端のトピックに対して、どういう知の体系が築かれているかというリサーチです。また、僕はペルソナをつくることが多いのですが、何かしらのカルチャーが動いているとき、そこにどういうペルソナがいるのか、彼らの生まれたときから、その人たちがそのカルチャーに入り込むまでを勝手に推論してもらうということに使っています。まあ適当ではあるんですが、あり得そうだなということがなんとなく見えてくるんですね。今後どういう新しい発明の種が生まれるかが考えられるし、逆に自分自身もそういう人たちに対して、「どういうものをつくれるか」といったことを考えることができます。
西村:なるほど。リサーチはディープリサーチを使うんですか?
滝本:ディープリサーチもそうですが、僕が一番リサーチするのは暗黙知です。教科書や自分たちの言葉にならないものを体系立てることに使うことが多いです。特にハードウェアには暗黙知がすごく多いじゃないですか。100BANCHでハードウェアをつくっていたときも、実験室でのプロトタイプと、製品化されるまでのギャップが大きすぎるなと感じました。相談相手がいないときにAIを使ってみると、暗黙知がめちゃくちゃ埋められるんです。プロトタイプをつくる段階でどういう構想が必要か、製品化に必要なコストや人数、生産工程はどういうものか、そういったことが全部見えてしまうので、楽だなあと感じています。
西村:今まで見えていなかったプロセスや落とし穴みたいなところを教えてくれたりとか?
滝本:それもそうですし、暗黙知って共同体の中で無意識に共有されていて、自分たちでは気づいていないことが多いんですね。それを明らかにできるのはすごくいいです。
西村:確かに。しかも大人になってくると「そういうの分かるでしょう?」みたいなのが増えてくるんだけれど、そういうことや、どういうリスクがあるかを説明してくれたり、一緒に並走してくれる相棒みたいな感じですね。寧々さんは普段、どういう形でAI使っていますか?
古山:最近、一番よく話している他者がAIで、2番目が研究室の先輩、みたいな感じです。
西村:なるほど、どういうことを話しているのですか?
古山:「疲れたー」と言ってみたり。もちろん資料を探すのにも普通に使います。
西村:最近、「友達としてのAI」からいい感じのリプライって何かありました?
古山:擬人化してしまうのが嫌なので、「友達としてのAI」とはあまり思っていません。SNSに投稿すると炎上するかもしれないような、置き場のない気持ちを置いてくる、みたいな感じで使っています。
西村:友達とはちょっと違いますね。作品をつくるときには使わないですか?
古山:自分のアイデアの反響板としては使うかもしれません。こういうことを考えていると言うと、文字で整理して出してくれるので。ただ、AIが出してくるアイデアは、作品には絶対に使いたくないと思っています。
西村:逆の壁打ち相手というか。私も文章をつくるのに、ChatGPTを使っていたら「あなたが大切な夢で見たことを教えてください」と聞かれて、絶対教えてやるもんかと思いました。データとして捉えられて他の人に使われたくないですし。
古山:そうですね、ChatGPTって、私が話した言葉に対して、「これだったらこれ」「次はこれ」という風に連想で返してくるので、別に新しくないと思うんです。AIが出せる程度のアイデアだったら、別に作品にする必要はない、と。
西村:すばらしいですね。優さんはどうでしょう?
加藤:僕はリサーチで結構使っています。ファッション × AI だと研究者が多くないので国内には話せる人がほとんどいないんです。僕は周りにコミュニティがなくても、飛び込んでみることが結構多いので、その際にAIで調べます。仕事以外でも、料理をするとか趣味が増えましたね。何かに最初に飛び込むときにChatGPTに障壁を取り除いてもらえるので、やりたいことがストレスなく簡単に試せるようになった、ということが増えたのでとても楽しいです。
西村:今、みなさんにAIをどういう形で使っているか伺いました。「僕・私にとってAIは◯◯です」というお題ではいかがでしょう?
加藤:僕は技術者でAIを使うだけではなくて、開発や学習を回すので、AIは「改造できるドラえもん」のように思っています。
西村:「改造できるドラえもん」ね。寧々さんはどうですか?
古山:道具ですね。道具でしかないです。
西村:アーティストにおける粘土とか筆とか、そういった道具、という理解でいいですか?それともちょっと違うとかありますか?
古山:選択肢が増えた、という方が近いかもしれません。カメラが開発された時に、絵画が写実の役割から解放され、印象派や抽象的な表現へと展開していったように、それと同じことが起こっているように思います。AIが出てきたことで、思っていることを外に出すスピードが上がったり、色々できるようになったのは事実です。でも作品をつくるときは、動機やつくりたい気持ちが一番大事で、それは変わりません。そういう意味では、やはりAIはあくまで道具だと考えています。
滝本:僕にとってAIは「関数」です。値を入れれば何かしら返ってきます。多くの人は、AIは何かしらの意思疎通ができて、あちら側からも積極的に働きかけてくるような存在だと思っているかもしれませんが、まだ全然そうはなっていません。AIに学習されているのはネット上にある膨大な自然言語処理のデータなわけじゃないですか。それをベクトル状、数値的に配列して、意味空間を見出しているわけですよね。そして、入力されたプロンプトに対して最も類似度の高いものを返してくる。「ある命令を入力したらどう返ってくるんだろう」ということを、Web上の集合知レベルで関数的に扱っている感覚です。検索という言葉が「関数」に変わってきたというのが僕のAIに対する今の手触り感です。
西村:ちょっと意地悪かもしれませんが、自然言語をベクトルとして扱うという話だと、人間も同じじゃないですか。人間とは何が違うんでしょう?
滝本:結局のところ、現状はあちら側から働きかけてこないところだと思います。そして、何か言ったとき、AIは黙らないですよね。人間の場合は、黙ることもあります。そこが違うのと、AIはまだ言葉選びができていません。類似度で測って一番近いものをポンと出しちゃうんです。だけど、特に僕らクリエイティブの人間は、言葉づかいとか言葉の感触を熟考します。そういうところが違うなと思いますね。
西村:説得力ありますね。ありがとうございます。
西谷:僕もAIは「ただのプログラム」「ただのアルゴリズム」というイメージが強くて、道具としか見ていません。技術の発達が今は人間の脳に食い込んできているだけだと思います。自転車とか車の登場で、昔と比べると移動が効率化されたように、思考の整理をAIという道具が効率化してくれているだけかなと思います。
堀口:僕にとってAIは「未来」だと思います。会場にAIを使っていない方がいましたが、使わないと絶対に損するものだと思っています。例えば今、何が最先端で、何がどれだけ早く作れてしまうのかを知っていないと、何かを発注したいときに絶対にカモにされてしまいます。1ヶ月かかると思って発注したのに、AIを使えば20分でできてしまうこともあるんです。そこを知っていないことが問題で、使うかどうかは自由ですが、AIを使わない未来はおそらく来ないし、これから先、別の何かができてAIが置き去りになる瞬間も来るかもしれませんが、今来ている波に対して知らないでいいものではないと思います。
西村:ここまでテキスト系の話が多かったんですが、AIでイメージや動画が生成されることがあります。最近、面白いものがあったとか、そういった動画に対してどう思ってるとかを聞きたいです。
西谷:やっぱりまず問題になっているのが著作権ですよね。そこはまだ結論が出ていません。絵を描く技術がない人でもすごくキレイな絵を描いたり動画をつくったりすることができるようになりました。これからは手を動かす技術よりも、それを出力するためにこれまで自分がどういう経験をしてきたか、どういう感情の動きがあったか、といった「経験」が重要視されていくのかなと思いました。
西村:ありがとうございます。アーティストとして、美大で学ばれている中で、寧々さんはどう思いますか?
古山:AIを使って作品をつくる人は増えてきましたが、やっぱり「どうしてそれをつくるのか」という動機が一番大事だと思います。SNSでバズるため、収益のため、それだけだと本当につまらないと思います。
堀口:ところで、Googleの動画生成AI「Veo 3」は使ったことありますか?本当にすごくて、広告会社に発注して数百万円かかるような映像も、工程を全部すっ飛ばしてつくってくれるんです。普通、動画をつくるとき、まず撮影をすると思うんですが、撮影場所をどうするかとか、作業工程に何があるかとかわからないし、たくさんの人手も必要ですよね。その労働力が本当に何万分の一でできちゃうんですね。
僕は自分で手で絵を描くのも大好きなんですが、そのときもAIを活用しています。自分でイメージがつかない難しい構図はAIに出力してもらって参考にします。AIにいろんな人のテイストで出してもらって、そこから「自分が描くならこうする」と参考にしたり、混ぜ合わせたりして、表現の幅が広がっていきます。僕の熱量も変わっていないし、最終的に自分の手で描いて、そのうえで「いいものが描けた!」という嬉しさもあります。表現をする人として、とても頼もしいし、今まで100人必要だったことをたった5人で、大きな会社と肩を並べてものをつくったりできるような力をくれる存在だと感じています。
西村:私も恥ずかしながらデッサンをやっているんですが、やっぱり難しいと思うこともあって、先生に「こういう描き方があるよ」と教えてもらうことがあります。AIを使えば、先生に習うように学べる、ということですね。ビジュアルのAI、リッキーはどのように見ていますか?
滝本:今のビジュアルAIはヤバいですね。最近、 Frank ManzanoさんというアーティストのInstagramの作品(@ loved_orleer)がすごいと思いました。AIならではの特徴的な映像は、「人間がつくろうと思ってもつくれない映像」というのがありますね。チーズを切ったら中から森が出てきた、みたいな人工現実感って言うんでしょうか。ありえないような動きすら、もっともらしくを演出してしまうのが生成AIの映像の特徴です。Frank さんの映像は、どこまでも洪水のように災害が起きたり、延々と崩れるようなビルとか爆発し続ける工場だとか、ヤバいんですよね。生成AIの画像、映像って、つまるところ、それに対して何かしら出来事が紐付いているわけです。だから、生成AIで出力される映像は、観る側はどこまでも情動的になり得るわけです。そういった映像を超連続的に出し続けられるので、ずっとそわそわするような感覚がつくられるわけですね。ここはかなり革新的、AIならではのやり方だなと思っています。
西村:「インセプション」という映画のクライマックスがガンガン来てる感じで、すごいなあと思いながら拝見しています。
滝本:そう、まさに平衡感覚がなくなる感覚です。僕らがAIにジャックされてる部分はこういうところだと思います。かつてマーシャル・マクルーハンというメディア論の研究者がいたんですが、彼の「メディアはメッセージ」という言葉を編集者が間違えて「マッサージ」と書いてしまったんですね。でもマクルーハンは「それいいじゃん」となったんです。確かにメディアを通して、僕らは認知のフレームを歪めたり、日々の振る舞いが変わっていくようになっている、と。まさしく、今の映像や生成AIは僕ら自身がメディアに対してマッサージされている感覚を端的に表していると思います。
加藤:僕もこういうAIならではの表現には、観る側としては興味があります。一方で、僕は視覚優位の表現をするタイプではないので、こういうものが出てきてから逆に、すごく香りがするとか、手触り感があるようなものづくりをしたくなってきて、陶芸をしたり、料理をするようになりました。ニンニクを焼く香ばしい香りとか、すごく良いなと思います。
西村:最後に、AIが入ってくる時代に人間はどうあるべきか、何をしていくべきか、というテーマで聞いていきたいと思います。これから当たり前のようにAIが様々な分野に入ってくるかもしれませんが、そういう時に人間はどうあるべきなのでしょうか。
滝本:僕は「詠み」と「眺め」が重要だと思っています。和歌がありますよね。和歌がどういう風に進展したかというと、誰かが一句詠むと、次の人たちがその型を学び、自分の中に吸収しながら次の一句を出すわけです。そうやって詠みながら続けられていきました。AIや陰謀論の話もそうだと思うんですが、何が事実かわからない状況で、どのように自分自身を変質するかが最終終着点にあるわけです。その中で、自分自身も何かしらの「詠み」を出すことが大事なのではないかと思っています。
もう1つは「眺め」です。僕らは生まれたときからインターネットも機械もあって、今はAIもその延長線上にある。ここに区分けをしないのが重要なんじゃないかと思っています。AIと自分、人工と自然、と区分けをすることによって自分からどんどん離れてしまっているので、1つの風景として眺めることが重要だと思っています。風景として眺めると、それが混然一体となったものとして受け取れるわけです。あふれている情報に対して、自分自身がどう思ってるのかを起点に人間は生きていくんじゃないかなと思っています。
古山:AIが出てきて「身体性が大事だ」と言われることもありますが、先ほど加藤くんが料理を好きになった、という話がありましたよね。やっぱり物質との関わりが大事だなと思います。海に行って波に触るとか、お茶を淹れてみるとか。私の後輩にAIをテーマに作品をつくっている子がいるんですが、私が「AIって身体がないからつまんないんじゃないか」と言ったら、その子は「AIを動かしているときにパソコンからすごい熱が出るから、それが身体なんじゃないか」という話をしていて。AIの身体ってどこにあるんだろう、と考えるのも面白いんじゃないかと思います。
西村:人間の身体性だけでなく、AIの身体性も考えていくと面白いですね。
加藤:料理は正直、シェフがつくったほうがおいしいですし、陶芸も陶芸家がつくったもののほうが技術的に上だと思います。でも、あえて自分でやってみる楽しさはあると思っています。以前、エンジニアとしてフルリモートで働いて食事はUberEatsばかりの生活をしていたとき、人間らしさがどんどん薄れていく感覚がありました。僕はあえて0からつくることには価値があると思うし、つくる過程で自分の視点を入れてオリジナリティを出してみようとか、なぞることでの気づきや自分ナイズされるものがあると思います。そういうことを積極的にやっていくことで自分ができることの価値を見いだしていった方が楽しいと思います。
西谷:人工知能の最終的なゴールは「人間の脳を完全に明らかにする」ことだと思います。しかし、近い未来ではまだ感情的なところは明らかにできないと思うので、そこが人間の役割になっていくんだと思っています。僕がチームリーダーをやっているときも、「今あいつレポートで先生に怒られてて大丈夫かなあ、帰りにコンビニで奢ってあげようかな」という「察し」みたいなものは、まだAIにはできないんじゃないかと思います。
堀口:僕は、いちばん大事なのは、自分の情熱とかコアの部分をずっと持っておくことだと思います。アイデアを100個出すスピードやクオリティはAIに追いつけなくなります。でも、自分が納得するものって最終的に自分からしか出てこないんです。一字一句完璧にAIに出力されたとしても、自分では納得できない、というコアがあったり、100個のアイデアのいくつかをつなげたもう一歩の飛躍は自分からしか出ないと思っています。
100BANCHは、そういうコアを持った人たちが活動している場所です。そこがつながり合うことで情熱が伝わるとか面白さがあるとか、そういうのは、AIでは無理で、人間しかできないものなんじゃないかと思います。そういったコアを忘れずに持っておくことが、これからすごく人間の価値になるんじゃないかなと思いました。