LEADER INTERVIEW

2022.06.10 Fri

「障害×アート」の挑戦を経て、その先へ
Eraflew:山本亮輔さん

  • #リーダーインタビュー

足を止め、曇天の先行きを案じる。目標に向かってがむしゃらに突っ走ってきた後に訪れる“バーンアウト”は、粉骨砕身の証であり、自らの核心に触れるための準備期間を授けるものなのかもしれません。

現役の大学生でありながら昨年、「Eraflew」(エラフルー)プロジェクト(株式会社エラフルー)を立ち上げた山本亮輔さん。この記事のインタビューを敢行したのは、彼がポーランド行きを約2週間後に控えたタイミングでした。重度の障害を持つ弟を抱える当事者として「障害を持つ子供たちの“やりたくてもできない”をゼロにする」を目標に掲げ事業を展開。障害×アートに纏わるイベントを成功させ、数々のメディアでその活躍を取り上げられた山本さんを待っていたのは、自分の根源を見つめ直し現実と向き合う作業だったと言います。

(写真:小野瑞希)

「Eraflew」リーダー・山本亮輔さん

 

——近々ポーランドに旅立つそうですね。現在、大学には通われているんですか?

 

山本:実はちょうど休学届けを出したところなんです。これまではリモートでどこでも授業を受けられていたんですが、対面での授業が8割になってしまったので、海外へ行くとなると通うのは難しくて。今回行くのはポーランドですが、来年には交換留学制度を使って再び海外へ行こうかなとも考えています。

 

——海外へはどういった理由で行かれるんですか?

 

山本:自分探しですね(笑)。ちょうどコロナも自分の事業も落ち着いてきたタイミングで、環境を変えてみて自分を見つめ直そうかと。ポーランドにはウクライナ情勢を受け避難した人が多いと聞くので、どういった環境でどういった経験ができるのか未知ではありますが。

 

——気をつけて行ってきてください。現在は事業としてどのような活動をしているんでしょうか?

 

山本:昨年、重度の障害を持つ子供たちを集めて、段ボールに絵を描いてもらうというアート教室を企画したんです。その後、そこで生まれた作品素材に芸大生たちが手を加える「共創アート」という形でコラボレーションアート作品を完成させ、その展示会を今年2月末まで開催していました。今はそれらの作品を販売するというのが事業活動のメインになっています。

 

イベント「段ボールタウンにえのぐをぶちまけろ!!」で生まれた作品

 

子どもたちが様々な道具を使って自由に落書きをした

 

子どもたち×芸大生の共創アート作品

 

——山本さんには10歳下に重度の障害を持つ弟さんがいらっしゃるそうですね。当事者として障害福祉領域に携わる中、アートの分野に着目したのはどういった理由でしょうか?

 

山本:僕自身、アートが特別好きというわけでも興味があるわけでもないんです。ただ、障害を持つ子どもを受け入れてくれるアトリエが少なく、そういう子どもたち専門の教室に至ってはほとんどないという現状があり、そこに参入する意義を感じたこと。それに、100BANCHのGARAGE Programに入居されていたプロジェクト・ヘラルボニーのおかげで“障害×アート”というものが、世の中的にある程度コンセンサスが取れてきた状況だったこと。それらがあって今後その分野が発展する可能性に期待を持てたので、アートに着目しました。

 

——やはり山本さんにとって100BANCHの先輩でもあるヘラルボニーの影響は大きかったんでしょうか?

 

山本:大きいですね。ヘラルボニーは障害を持つ方が手掛けるアートの業界ではファーストペンギンのような存在で、彼らに感化されて同じ業界で活動を始めた人は多いと思います。直接、代表の松田(崇弥)さんとお話しさせて頂いたこともあるのですが、障害福祉領域に対する哲学が深く、やっていることもしっかりと社会貢献につながっているのが素晴らしくて。僕はある意味、自己実現のための取っ掛かりとして同じ領域でやっているだけであって、この先登る山は同じではないかもしれないと感じました。だから正直、このまま自分が同じようなアートの文脈でずっと活動を続けていくか、今後自分がどんな立場になっているかも分からないんですが、いずれにしてもヘラルボニーのように、世の中に何らかの影響を与えられることをやりたいなと思っています。

——ところで、山本さんはどのような幼少期を過ごされましたか?

 

山本:小学1年生から高校3年生までずっと野球部でした。あまり勉強が好きなタイプではなかったのですが、数学と音楽だけは好きで一生懸命やっていました。自分の好きなようにやれ、という方針の両親だったので割と自由に育ってきた気はします。弟の他に2歳年上の姉がいるんですが、僕も彼女も弟とはかなり歳が離れているので、3人で歩いていると若くして子供を産んだ親子のように見られることがあります(笑)。すごく仲が良いですし、彼は弟というか、自分の子供のような感覚があるんですよね。僕にとって彼が障害を持っているということは障壁にはなっていないし、家族みんなで手を取りながら子育てしているような感じ。これまであまり不自由な思いをすることもなく、自分のやりたいことをやりながら過ごしてきました。

 

 

——高校生の頃、100BANCHのメンターでライフイズテック株式会社代表の水野雄介さんが主催する「Life is Tech !」のプログラミング教室にも参加していたそうですね。

 

山本:はい。興味を持ったのは『ソーシャル・ネットワーク』という映画(2011年公開)がきっかけです。Facebookの創始者であるマーク・ザッカーバーグを描いた映画なんですが、僕も自分の手で何か作り上げて成功したいって漠然と思って、じゃあとりあえずプログラミングをやってみようと。附属高校からエスカレーター式に大学に入学することが決まっていて受験勉強に費やす時間がなかったし、ちょうど部活を引退していた時期だったんです。だからその時間を何かの学びに充てようと思って、プログラミング教室以外にもマクドナルドや家庭教師のバイトもしていました。この時期に何かやっとかなきゃ、という意識が強かったんでしょうね。そしてその後、エンジニアのサポートという形でスタートアップ企業にお世話になりました。インターンというか、本当にちょっとお手伝いをさせてもらったような形ですが。

 

——大学へ入学してからも複数の企業でインターンを経験したそうですね。

 

山本:大学に入ってすぐの5月、スキマバイトアプリを展開しているタイミーさんにインターンとして採用され、新規事業に携わりました。社長である小川(嶺)さんも大学時代に起業している方。彼の元で働けることに魅力を感じて、ツイッター経由で「インターンで働きたい」とDMしたんです。彼らがやっている内容に興味を感じたというより、働く環境に魅力を感じて飛び込んだ感じですね。何をやるかよりも誰とどんな環境で過ごせるかを重視するタイプだったので、いちスタッフとしてガッツリ関われたのはすごく嬉しかったです。

 

その後は、LITALICOさんが運営する発達障害のポータルサイト「発達ナビ」の編集部にインターンとして採用されて。障害を持つ人たちに向けた領域でなんとなくやりたい方向性が見えてきた頃だったので、近しい業界の大手である同社に興味があったんです。ジャンルも規模も違う2社でしたが、学生のうちに色々な立場で携わることができて良かったですね。起業するにあたって良い刺激と経験を得ることができました。

 

——お話しを伺っていると、かなり早い段階で起業に興味があったんですね。

 

山本:これがやりたいっていう明確な目標はなかったのですが、大学を卒業して大手企業に就職するみたいな、いわゆる安定思考っていうのが自分にはあまりフィットせず、自分の手を動かして何かしたいという強い欲求がありました。ただ、具体的な目標やノウハウはなかったので、目の前のものを摘んで未知の世界に飛び込んでいった感じで。大学で適当なサークルに入って友達をいっぱい作る、みたいなことにはあまり興味がなかったです(笑)。

 

 

——そこから障害福祉領域へ向かったきっかけについて聞かせてください。

 

山本:家族の存在が大きいですね。障害福祉領域でやりたいことがあったというより、家族の幸せに繋がることを何かしらの形でやりたい、というのが動機になっていると思います。

 

——実際にその領域に携わっていくうち、どんなことを感じましたか?

 

山本:まだまだ課題だらけな領域だと実感しました。コストの問題がつきまとうし、プレイヤーも全然足りていない。障害を持つ人たちの家族を取り巻くのは、障害者基礎年金が低い上、国の受け入れ体制やサポートが十分ではないという現状があります。1人目で障害を持つ子供を産んだ家庭って、育児の大変さを目の当たりにして2人目を産まない選択をする人が多いと言われています。金銭的にも大変だし、弟妹がいなければ単純にサポートする家族が少ないので、生涯に渡って課題しかない状況なんですよね。そして、障害を持つ人向けの習い事教室のような、放課後等デイサービスと言われる国の支援があり弟も通っているんですが、その中でもアートや音楽といった分野の感性教育を行う場所やサポートする人って、コストの問題もあってすごく少ないんです。そんな現状を知った上で今の事業をスタートしたので、ある程度の想像はできていましたが。

 

——さまざまなインターンの経験も積みつつ、100BANCHのGARAGE Programに参加したきっかけを教えてください。

 

山本:プロジェクトの新規事業をスタートさせることになり、仲間と集まれる拠点を探していた時期に見つけたのが100BANCHでした。NPO法人ETIC.が運営する「MAKERS UNIVERSITY」(以下、MAKERS)という学生起業家を育成するコミュニティにも参加しているんですが、そこでメンターを務める水野さんが100BANCHのメンターでもあったので、お話を伺いGARAGE Programへの応募を決めました。

 

——100BANCH内でメンバーとの交流はありましたか?

 

山本:MAKERSの同期でもある「MUJO」の前田(陽汰)さんは大学も一緒だし、よく喋ります。「Stat!」の​​須田(隆太朗)さんも同期です。100BACHで仲良くなったのは「WaQ!!!」ですね。子供に思いっきり落書きさせるという体験を通して、やりがいやワクワクを増やしていこうっていう、ちょっと僕と方向性の似ているプロジェクトで、代表の安田(舜)さんとはよく話していましたし、ワークショップにもお邪魔しました。最初エラフルーにいたメンバーの1人は、途中からWaQ!!!に入ったんですよ。

 

——メンバーチェンジもあったんですね。

 

山本:(抜けたメンバーに対しては)他にやりたいことが見つかったならよかったじゃんって素直に思います。僕以外のプロジェクトメンバーは全員芸大生なんですが、そもそもかなり流動的な形で関わってくれているので、メンバーチェンジはよくあることなんです。そんな中でもオフラインで仲間と集まれることの貴重さは、100BANCHで本当に実感しましたね。多いときは週7日で通っていました。

 

——週7日通いはすごいですね! そんな入居生活の中で行った活動について教えてください。

 

山本:先程お話ししたアート教室を基に、障害を持つ子どもと芸大生の共創アートによって生まれた作品を有楽町マルイさんで展示させていただき、作品販売を行うまでの全ての活動を、入居中の3カ月間に行うことができました。

 

有楽町マルイで開催した「一緒につくる。展」​​の様子

 


販売する障害を持つ子どもと芸大生との共創アート

 

山本:コロナ禍だったのでオフライン、つまり対面で行うアート教室というのは中々実施が難しい時期ではありましたが、何とか賛同を得られ、参加してくださった子どもたちの親御さんから感謝された時は嬉しかったですね。うちの弟も参加してくれて、すごく楽しそうにしていたのが印象的でした。展示会も概ね好評で、それを機に作品の販売にまで至った実績を作れたのは大きかったです。ただ、終わってから色々考えさせられたのも事実で……。

 

——と、言うと、どういうことを考えられたんでしょうか?

 

山本:今やっていることを長いスパンで続けられるのか、本当にやりたいことはこの領域なのか。そんな根本的な問いに直面して、今年の1〜2月はすごく悩んでしまいました。そもそも好きなことやものを起点に始めたわけではなく、使命感のようなものでひたすらやってきたんですが、僕らって定年退職が80歳以上になるって言われる世代でしょう。そんな中で自分の将来を考えたとき、このまま今の市場で活動を続けていっていいのか、ただの自己満足で終わるんじゃないのかと不安になってきてしまったんです。やるって宣言して周りを巻き込んで、投資も受けている状態だったので、とにかく進めなきゃと前を見てきたんですが、知らず知らずのうちに自分を追い込んでしまったのかもしれません。挫折したわけではありませんが、立ち止まる機会を得たのは入居期間中でした。

 

——それで、冒頭で話していたように自分探しの旅へ出ようと……。

 

山本:その通りです。ヘラルボニーの松田さんもそうですが、登る山が見えている人だと思うんです。先ほどお話ししたMUJOの前田さんもそう。常に目指すところが決まっていてブレなくて……少なくとも僕の中ではそういう印象なんです。それに比べて僕は登る山がまだ決まってない状態。とりあえず環境を変えなきゃと思って、ポーランドに行くことにしたんです。帰りの便のチケットはまだ予約していません。今は立ち止まっていい時期なんだと定めて、思う存分自分を見つめ直してきたいと思います。

 

 

——そんな思いがあったんですね。入居を経て、良くも悪くもやってみないと分からないことを経験できたと。

 

山本:100BANCHで突っ走れたからこそ、解像度が上がったと感じています。入居した当初は教室事業をメインでやりたいと思っていて、その次はアート作品を売るという方にフォーカスしました。それは会社を存続させるためにやったことでもあるんですが、強いビジョンがないのでブレながらやってしまっているんですよね。突っ走って燃え尽きてから考えるという僕の性質によるものなのかも知れません(笑)。だけど情熱が冷めているわけではないし、弟や家族の幸せに繋げたいという根本的な思いは変わらないので、もしかしたら方向性は変わるかもしれないけど、また何らかの形で再び突っ走るんだと思います。100BANCHはそんな自分を改めて知る機会をくれた場所。今は迷いがあるけど、結果として、意図して行動できたことが僕にとってはすごく良かったです。

 

——この後の海外での経験が、ネクストステップへ向けた大きなターニングポイントになるかもしれませんね。

 

山本:ゼロに戻って海外で刺激を受け、また情熱をぶつけられる何かを見つけるかもしれません。次に100BANCHでお会いする時にはそうなっていたらいいなと思います。

 

 

 

 

WRITER

濱安 紹子

ライター

猫と布団をこよなく愛する、三足の草鞋ライター。音楽メディア、WEB系広告代理店での勤務を経てカナダ・トロントへ。 現地の日系出版社にてライター業に携わった末、帰国後よりフリーランスライターとしてのキャリアをスタート。 その傍らで自身の音楽活動、酒好きが高じてバー営業も行っている。

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