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100BANCHの縁と縁起を感じきる──ナナナナ祭 2024ブラッシュアップ合宿@大阪
言わずと知れた国産エレクトロニクスの雄・パナソニック。
2018年に100周年を迎えるこの巨大企業が、「これからの100年」に向けて、なぜ今、外部との合同プロジェクトによって、野心的な若者たちを巻き込み“新しい風”を吹き込もうとするのか。
100BANCHのプロジェクトをリードしてきた則武里恵に、このプロジェクトに期する思いを語っていただきました。
日本を代表するエレクトロニクス・カンパニーのパナソニック、先進的なカフェ/ライフスタイルを提供するカフェ・カンパニー、オープンコラボレーションを推進するクリエイティブエージェンシーのロフトワーク。
これからの100年をつくる実験区「100BANCH」プロジェクトは、パナソニックの100周年を機に、3社による共同プロジェクトとしてスタートしました。
業界も歴史もカルチャーも違うこの3社の歩みが、なぜこの渋谷という地で交わり、そしてどのように次へと進んでいくのか。それを占うため、3社の代表者にインタビューを試みました。
言わずと知れた国産エレクトロニクスの雄・パナソニック。2018年に100周年を迎えるこの巨大企業が、「これからの100年」に向けて、なぜ今、外部との合同プロジェクトによって、野心的な若者たちを巻き込み“新しい風”を吹き込もうとするのか。100BANCHのプロジェクトをリードしてきた則武里恵に、このプロジェクトに期する思いを語ってもらった。
パナソニック株式会社 則武里恵
——そもそも、本プロジェクトが立ち上がった経緯について教えてください。
100周年を迎えるにあたり、「次の100年にパナソニックはどう生き残っていけるのか、どうなっていたいのか」ということを社内のいろんなメンバーたちと一緒に考えてきました。次の100年にも、日に新たな「お役立ち」を生み出し続ける会社でありたい。これは、社員みんなに共通した願いです。だけど、歴史がある分、自分たちが次の歴史をつくっているのだという当事者意識を持つことは難しい。だから、このプロジェクトでは「次の100年は、自分たち自身で作っていくんだ」という姿勢を強く意識し、実践できるようなものにしていきたいと思ってきました。
でも、未来を作っていくとき、パナソニックのメンバーだけでは限界があります。では、どんな人たちと未来を作っていきたいのかとイメージすると、これからの時代を担っていく若い人たちと一緒にやるのが最高にワクワクするな、と。そういう人たちと接点を持ちながら、未来へのいろんな兆しをつかんで、それを形にしていくことに取り組んでいく。そこにリアルな場があると、この動きはさらに加速していく気がしていました。
——そのイメージを具現化していくためのパートナーが、ロフトワークとカフェカンパニーだったということですか。
そうですね。新しい人たちと新しいことをしていくということには、純粋なワクワクと楽しさがあります。ロフトワーク、カフェ・カンパニーとパナソニック、3社それぞれにまったく違う常識とカルチャーがあり、驚くこともいっぱいありますけども、だからこそその衝突と、未知との出会いの連続が、最初は想像もしなかったところまで連れてきてくれました。まだ始まったばかりですが、いろいろな出会いが重なって、もっともっとダイナミックな動きへとつながっていく、「奇跡のプロジェクト」になるんじゃないかなと思っています。
私も、このプロジェクトにコミットしたくて、住み慣れた街を離れて東京にやってきました。同じように、それぞれの大切なものを賭して、100BANCHを盛り上げていこうとする思いや姿勢を、ロフトワークやカフェ・カンパニーのメンバーからも感じています。「実践する」とか「やりきる」ことをコンセプトにしているのですから、関わる私たちだって本気です。みんなのポジティブなエネルギーがぎゅっと「束=BUNCH」になって凝縮されて、もう爆発寸前(笑)。ここに、さらに多種多様な人たちが合流してくると思うと、楽しみでしかありません。
100周年のシンボルマーク。次の100年も、衆知を集めて新しいことに一丸となって挑戦していく気持ちを、「1」「0」「0」をつなげることで表現。モチーフとなった電球は、電化の象徴であり、パナソニック創業の製品である改良アタッチメントプラグ開発のきっかけともなった製品
——なぜ、その場所として渋谷を選んだのですか?
最初は渋谷というところまでエリアを限定してはいませんでしたが、やはり東京でというイメージはありました。社内のタスクフォースで話をしている中で、「東京ではパナソニックが若い人たちにとって全然クールじゃない」という共通認識があったもので(苦笑)。
渋谷に決めたポイントとしては、やはり、この街の独特の面白さがあると思います。100BANCHは実験区なので、さまざまな実験をやっていきたいと思っているんですが、そう考えた時、まさに大規模な再開発の途中の段階にある渋谷でなら、いろいろなことを試せる余地があるんじゃないかと思いました。
100BANCHは3階建てのビルですけど、その前には遊歩道ができて、恵比寿や逆方向の渋谷ヒカリエなどの周辺地域へと拡張していくような開発が進んでいく。そんな状況下なら、渋谷の街をフィールドにしてできることが山ほどあると思うんです。渋谷は若者の集まる街ですし、一方ではITベンチャーも集積していたりとか、多種多様にクリエイティブな人たちがいて、面白いネットワークが作れるのではないかと考えています。
——この100BANCHを拠点として、これからどんなことを仕掛けていきたいですか?
まず「これからの100年をつくる実験区」ということで、パナソニックとしてもいろんな実験を行っていきたいと思っています。それは技術的な実験というだけではなくて、働き方、いろんな方と仕事をする際の新たなコラボレーションスタイルも含めてのものです。パナソニックはもともと大阪の会社なんですが、勝手を知っている大阪の、パナソニックの社員しかいない中で仕事をするのではなくて、東京という新しい場所で普段、触れることのない多様な価値観の人と接するからこそ、気づけることがたくさんあると思います。そういう場所だからこそ仕掛けられることもあるので、新しい取り組みをどんどん増やしていけたらなと考えています。
——それこそ、多種多様な背景を持ったプロジェクトが入居する場でもありますものね。
今回、第一期のプロジェクトに応募してもらった68件のアイデアや、そこから採択されたテーマを拝見していると、私たちの持っていないさまざまな発想で未来について考えている人がいるのだなと驚きます。パナソニックの社員も、そういうのを見てきっとライバル心を燃やすんじゃないかなと思うんですね。うまく刺激し合いつつ、協力も触発も挑発もしあいながら、ここから生まれたアイディアを具現化していけたらなと思っています。
パナソニックは今でこそ大企業で、人によっては腰が重いとか、どこを切っても同じ金太郎飴のような会社だというイメージもあると思うんですが、創業者の松下幸之助は23歳でこの会社(当時は松下電器)を起業しています。23歳は今でいえば、大学を卒業して、新卒で働く年齢だと思うんですけど、松下幸之助は夢と希望を持って、相当にチャレンジングな起業の仕方をしている。パナソニックはもともと、起業家の会社だったんです。だから、今のパナソニックの根っこにはそういうマインドがあるはずだということを、私たちももう一度思い出したいんですよね。
それに、私は長い間、広報の仕事をしていて、たくさんの社員と話す中で、実は本当に多様な個性を持った社員がたくさんいるということも感じてきました。表立って表明することは少ないけど、自分の世界を持っているエンジニアだとか、営業の人だとか。そういう、私たちが持っているものをきちんと理解しつつ、様々な外部の刺激的な方と一緒に“無謀な挑戦”に取り組んで、新しい未来を作れたらと思っています。
3F:LOFT
入居プロジェクトの第1回審査会の模様(100BANCH完成前だったため会場はロフトワーク)。メンターが一堂に集まり68件のエントリーすべてに目を通した。
——100BANCHは、ある意味「松下イズム」を再確認するための場でもあるんですね。
そうですね。「次の100年」というとスケールが大きい話だと思われると思うんですが、創業者の松下幸之助は、昭和7年に「250年計画」というものを社員の前で発表しています。「25年を一節としてそれを10節繰り返し、250年で楽土を建設しよう」という壮大な計画です。自分が死んだ後も何代も何代も続いていく、孫やひ孫、さらにその先の子たちの生きる社会を想像して、松下幸之助はそんな計画を出したのだと思います。
そう考えると、100年はその2分の1以下(笑)。いずれにせよ壮大なスケールには思えるんですけども、せっかくの100周年なので、創業者の掲げた壮大なテーマに挑戦してみたいなと思ったんです。
通常、企業においては100年なんて事業計画は立てませんよね。3年とか5年で計画することがほとんどの会社生活において、せっかく「100年先」を考えてものが作れる実験区なので、いったいどんなものが出てくるんだろうとみんな興味津々ですし、どうやって100年先の社会の姿を考えるのかというのも新しいアプローチなので、とてもやりがいを感じています。
この100BANCHだけでなく、いろんな社内変革の取り組みや、社外との共同での取り組みを進めていく予定ですし、この100BANCHが、パナソニックが社会のみなさんと一緒に次の100年を作っていくきっかけの場になればいいと思っています。