DAJARE PRODUCTS
ダジャレの「発想法」としての可能性を探求する
DAJARE PRODUCTS 加藤寛大
2025年も未来に向けた実験を大胆に繰り広げる100BANCH。メンバーたちの抱負をリレーエッセイでつないでいく新春特別企画「2025年 今年の抱負!:巳(実)のなる1年に」。
今日の執筆者は、ダジャレの「発想法」としての可能性を探求するDAJARE PRODUCTS(駄洒落プロダクツ)の加藤です。
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あけましておめでとうございます。
駄洒落プロダクツの加藤寛大(ひろと)です。
昨年は、駄洒落プロダクツとしての活動をスタートした年でした。ダジャレを発想の起点であり縛りとして様々なプロダクトを作ったり、ダジャレでブレストする「ダジャブレ」というワークショップを行ったりしました。
ダジャブレの様子。アイデアがテーブルの垣根を越えていた光景が印象的でした。
そんな自分の2025年の抱負、心に抱いて背負っていく言葉は、「異なりを重ねる」です。
なぜここに至ったのか。それは、ダジャレと、自分の大事にしている言葉が結びついたことがきっかけでした。
まず、ダジャレは、音の似た異なる言葉を重ねることによって成立します。文脈関係なく、異なるもの同士を(半ば強引に)結びつけられるというところが、ダジャレのパワフルさであり、そこに僕はダジャレの発想法としての可能性を見ています。
そして、僕が大事にしている言葉とは「グルーヴ」です。1年前に始めたダンスを通じてこの言葉に出会いました。好きなダンスの先生が「流れて終わるのではなくて、ずっと続いていくのがグルーヴ感のある踊り」と言っていて、「なんかいいな」と思ってスマホのメモに残しました。そこから、自分が魅力的だと思うヒト・モノ・コトとグルーヴという言葉を結びつけていくようになります。
グルーヴとは、
・奥行きを感じられるもの
・取り込むこと
・発散と収束の繰り返し
・出すものというより出るもの
・足腰から生まれるもの
・美学
という風に、自分の中で出会った新鮮な感覚がこの言葉と繋がり、言葉への解釈が膨らんでいきました。100BANCHの階段にある「わたしにとっての100BANCH」のように。
「〇〇とは?」に対するアンサーがたくさん出てくる、多様な解釈を受け入れてくれる言葉っていいなと思います。
僕がグルーヴという言葉に感じている魅力は、
・個人で探究することができる
・加えて、それがシンクロすることがある
というところにあります。
つまり、自分なりのグルーヴを探究してきた他者同士が「一緒じゃん」と重なる瞬間があるんですね。この瞬間が気持ちいい。かつ心地いい。そして、重なったときグルーヴは増幅する。オーケストラの重奏のように、複数の音が調和し、層になって響き渡ります。
このままグルーヴについて語りたいところですが、話を戻しますと、ダジャレとグルーヴは「重なる」という点で結びつくんですね。
この「重なる」という視点で自分の2024年を見つめ直したとき、「あまり重ねられなかった」と思いました。自己探求に終始してしまい、他者への想像力が足りていないと感じることが多かったです。例えば、仕事において。与えられた仕事の中でどうやって質の高いアウトプットを出すのかに注力するあまり、「チームで」作っていくことを考えられていませんでした。モノとモノを重ねることに注力していて、ヒトと重ねようとする意欲が足りていなかったとも言えるかもしれません。
でも今、自分の周りにいる人を見渡してみると、ピュアな変態が多くいます。100BANCHもそうですし、自分が働いている会社にも。これは、重なったら面白い人たちに囲まれているということだと思うんです。
それぞれが自分なりのグルーヴを探究しているが故に「自分とは合わないかもな」と思う瞬間、異なりを感じる瞬間もある。でも、そこが出発点というか。だからこそ重なったときに面白くなるし、何より嬉しいと思います。哲学でいうアウフヘーベンのように、相容れないだろうと思っていたものが重なり合ったときにこそ、多くの人の拠り所になるものが生まれる。そこは、たくさんの人が手を取り合えるような場所になる。
まずは、自分なりのグルーヴを探究する。
そしてその上で、異なりを重ね合わせる。
そうして、みんなの集まる場所ができる。
僕は、そんなダジャレのような存在になりたいのかもしれません。
メンバーたちの抱負をリレーエッセイでつないでいく新春特別企画「2025年 今年の抱負!:巳(実)のなる1年に」をお届けしています。他のメンバーによる記事は以下のリンクからご覧いただけます。若者たちの熱や未来への兆しをお楽しみください。