University of Universe
#空きコマ月 宇宙はどこも、わたしの大学だ。
2022年7月9日、ナナナナ祭2022で「100年後の学校」と題したイベントが開催されました。このイベントでは、「Univerity of Universe」というプロジェクトを進めている今村柚巴さんがホストを務め、「学校内でのまなび」を作り上げてきた竹内啓悟さん、「学校の外でのまなび」を与えてきた柚木理雄さんと一緒に、100年後の学校について語り合いました。
ホストを務める今村さんは、大学の時に訪れたタイで友人がさらわれそうになり、そのときにタイの人に助けられたことで、自分が生きてきた世界の狭さを痛感し、いろいろなことを始めようと決意。その後、世界青年の船に参加したり、ゲストハウスのことを発信するプロジェクトを行ったり、クラウドファンディングで日本一周するなど、さまざまなことに挑戦してきました。
ゲストの柚木さんは、小学校1年生から3年生までブラジルで生活し、生徒が1、2名しかいないような環境で教育を受けてきました。帰国後は日本の型にはまった教育に違和感を持ち、大学でバックパッカーとして40カ国ぐらいを旅するうちに出会ったゲストハウスが大好きになった柚木さん。嫌いだった日本を自分で好きに変えて行こうと思って入省した農林水産省を、東日本大震災をきっかけに辞め、自分でゲストハウスやシェアハウスなどの場作りなどを行う事業を開始しました。現在は3つの村と提携を結び、そこの村の資源を活かしたビジネスを考えるゼミをやっています。
Little Japan代表の柚木理雄さん。芸術家の村というNPOの代表、中央大学の特任准教授も務めている
ゲストの竹内さんは、地方の放送局、教育出版社を経て、都内の中高一貫校の教員となり、2015年からオンライン教材で授業を行ったり、IllustratorやPhotoshopなどを使うクリエイティブラーニング、ビジネスピッチを必修として授業で行うなど、さまざまな先進的な学びを実践してきました。その取り組みが評価され、2020年には教育界のノーベル賞といわれる「Global Teacher Prize 2020」のTop50 Finalistに選出されました。
自己紹介に続いて、今村さんが今回のナナナナ祭で公開した「人生のターニングポイントマップ」を紹介しました。
人生のターニングポイントマップでは、世界地図に立ったピン1つ1つが誰かのターニングポイントになっていて、クリックすると、その写真とその方にとってどのような場所なのかということが表示されます。さらにハッシュタグを使って同じようなテーマで書き込んだ人のことを調べたりすることもできます。
ターニングマップに立てられたピンの中で、最も遠くにあるブラジルのピンを見て今村さんは「日本を出ることを決めた場所なんですね。こういう、誰かも分からない人の話も見られるのって、すごく面白くて繋がってるなと感じます」とコメント。
柚木さんは「ゆず(今村さん)はなんかよくわかんないことをやっているなって思うことも多いんですけど(笑)人生がかわるきっかけの場所を探すことができるこのサービスはとてもいいなと思いました」と感想を述べました。
MC:今回、100年後の学校を考えるにあたって、大きく「カタチ」「ヒト」「イミ」の3つのテーマそれぞれに9つの問いを用意しました。
MC:最初に学校の「カタチ」の簡単なところから「そもそも100年後に学校はあるの?」ということについて聞きたいと思います。
柚木:僕は100年後も学校はあるけれど、形はすごく変わっているんじゃないか、は遊ぶことを「学ぶ」っていう時代ががもうすぐあるんじゃないかなと思っています。生きていくのはまあまあできるようになる気がしているので、その先の残りの人生をどうやって楽しむかっていう楽しみ方ですね。今はそもそも仕事がなくなるなどの理由で、人生を楽しんでくださいって言われても、楽しめない人が多いんじゃないかなと思ったりしているので、人生を楽しむための、多様な学びの場が提供されてるんじゃないかなって思います。
竹内:学校はあって欲しいと思います。私の地元は新潟で3番目に大きい20万人規模の都市なんでが、統廃合がすごく進んでいて、学校がどんどんなくなっちゃってるんですね。それを聞いた時に、すごい寂しくなって、自分は学校があって欲しいんだなと。
今村:私の中でなくなってほしくない学校って、特に小・中・高なんですね。大学からは正直ちょっと肩書きとか、そういうところになってきてしまうともあると思うので、どこまでの学校のことを2人が指してるのかなっていうのが気になりました。柚木さんどうですか。
柚木:僕はもう大学のその先もあるかなと思ってます。多様な学びの場っていうのは、子供の中でもできていくと思いますし、大人になってからの学び直しっていうのが、これから多分どんどん増えていくんじゃないかなと思っています。
日本の大学生は学ばないって言われていますが、今大学で教えるようになって、みんな結構勉強していて忙しそうだし、大学以外の場所での学びも含めてすごく学んでるんじゃないかなと逆に思うようになりました。、今は社会に出てから学ぶ機会はほとんどないと思ったりもしているので、社会人学校のようなものは結構増えるかなと。
竹内:私がさっき言ったのは、小・中・高のイメージで、学校はもう電気・ガス・水道に次ぐインフラだと思ってます。イメージでいうとマクドナルドやユニクロみたいな。ユニクロだったらオンラインで買えると思うかもしれませんが小さな子どもはそもそもオンラインで買えるということも知らない。同じように初めて学びに出会う場所もが必要になるので、「あ、ユニクロっていうものがあるんだ」ということを知る場所が必要になってくるんですね。それに、初めて触れるインフラとしての学校は一定年齢層までは必要で、それは高校18歳ぐらいまでかなと思ってます。大学に関しては。オンラインでとか、複数の大学に同時に属したりとか、もう少し自由選択制になっていいかなと思ってます。
MC:「カタチ」でもう1つ竹内先生と柚木さんの人生の中で1番学びになった場所はどこでしょうか。
柚木:1番はやっぱり大学の時がほんとに自由が与えられた中で、いろんな国に行ったりして、それが1番学びとしては大きかったなっていう風に思いますね。ただ、大学院の研究は結構頑張ったと思いますが、高校生の時の方が勉強したかなっていう気はしますね。 僕は結構受験勉強のそんなに否定派ではないので、一生懸命努力をするっていうこと自体はあっていいのかなと思っています。
ただ、100年後は勉強の内容が頭の中に直接送られてきて、全部暗記できるようになってんじゃないかなと思ったりしてるので、そういう苦になるような勉強ってする必要なくなってるんじゃないかなって思っています。
竹内:すごく学術的に色々学んだなっていう実感は残念ながらあまりなくて、一方実践的な方では、大学の時にフリーペーパーやポータルサイトとか、地域のクーポン誌みたいなものを作っていたんですけど、動いたことで経験値が積めててとか、知らないことが初めて知れてみたいなものがすごく実践的な学びになったなと思っています。
もう1つは、1番自分が成長できたのは地元の高校の部活動です。 もう部活三昧みたいな生活でして、それを通して自分が成長できるとか、一生懸命になれるみたいな体力を身につけることができたので、それが今でも力になってると思います。
今村:私は、小学校から大学までずっと一貫校で、受験勉強というものをしたことがなくて。留学前はすっごい詰め込んだけど、留学試験の後約一年何もしないで留学に行ったら、すっごい簡単な単語を知らなくて全然身についてなかったんです。実践的な学びはもう今この瞬間が学びというか、登壇させていただいたりとか、こういうお客様を集めるイベントをするとか、そういった瞬間瞬間がすごく学びなのかなって思います。
今村:「100年後に学校ってあるの?」という質問についてはみんな合致してて、学校そのものはあると思いますし、やっぱり学校がインフラっていうのはすごくわかりますね。義務教育があって、みんながこれを一律で学ぶっていうものがあるからこそ、学校外が生まれてくるし大学の実践みたいなこともあるので、学校はものとしても場所としてもあり続けることいいことで、それは100年経ってもそうであるといいですよね。
MC:次の大きなテーマとして、ずっと前から問題になってるいじめ問題は、100年後になくなってるのでしょうか?
今村:この質問をした意図は、何歳の人たちが学生になるの? と関連しています。というのも仮に学校のかたちが変化していって、やりたいことに特化した学びになると同世代の人だけとつるむわけではなくなるかもしれません。
その年齢がバラバラとかになったらいじめってなくなるのかなといじめって、同じ年代の人が同じ場所で、狭めの世界で結構閉じているからこそ生まれるものという側面もあると思うんですね。
竹内:なくなって欲しいですよね。100年というと、皆さんの孫の孫ぐらいですが、今の子供たちも私たちの世代に比べてだいぶ多様性を受け入れてるので、もっともっと多様性を認めている状態かなと思います。私の理想は変わってるからいじめられるより、変わっているかかっこいい、みたいな状態になっていて欲しいなと思います。
柚木:100年もしたらいじめはそろそろやめたいですよね、多様性が課題かなというのはすごく思ってて、その年代が同じっていうだけでバラバラの人を同じところに入れようとしているところで、歪みが生じているっていうのはすごくあると思います。
柚木:僕日本に帰ってきてからは大人が一番きつかったです。先生からも保護者からも子どもだから何もできないという、決めつけからスタートしていることに、すごく疑問を抱いていました。
柚木:僕は日本に帰ってきてびっくりしたのは、プールの着替えが男女一緒だったことです。ブラジルから帰ってきた僕はそれが異で、虐待かなとすら思っていました。やっぱり同じ空間に詰め込むから起こっているところはあると思ってるので、そこはだいぶなくなっていくんじゃないかな。というか、みんなが尊重されるようになっていくんじゃないかなとは思ってますね。
MC:オンラインから「変わっているからかっこいいと認め合うという多様性は地方でも共通なのでしょうか」という質問をいただいております。
竹内:地方の学校で講演をした時にも、変わったこという子がいたんですけど、空気感としてはすごく「おおっ」て認められている感じがあったりしたので、全然都会と変わんないなという実感はあります。特に仙台の方面は、東日本大震災の影響かものすごくエネルギッシュな中高生が多くて、東京よりも東北地方の方がむしろ進んでるところがあるかもしれません。
MC:会場から何か質問ありますか?
参加者:日本人の根本的な意識として、戦時中の隣組だとかは80年前の話だったけど、今もいわゆる自粛警察みたいなものがあったりで、80年前も今も根本的にはあんまり変わってないんじゃないかなって考えています。それは100年後も多分まだまだ根強く残ってるんじゃないかなと思っていて、子どもの意識っはどう変わっていくべきなのかをお伺いしたいです。
竹内:おっしゃる通り、多分変わらないところがあるので、むしろやるべきはノイズをフィルターする力みたいなところかなと思います。例えば学校の中でも、同じような人じゃないと「なんかちょっと違うよね」みたいなノイズがある一方で、それをすごく評価してくれる人が、世の中にはたくさんいるので、そっちにだけ耳を傾ければいいと思うんですね。
竹内:ちょっと前にオンラインで中高生向けのワンデイプログラムを提供した時に、小学生が飛び入りで参加してきたんです。沖縄で個人でSDGs活動をやっていて、インスタのフォロワーが1万人ぐらいいるらしいんですが、最後のプレゼンで中高生を出し抜いてその子が勝っちゃったんですよ。。その子は多分学校の中では浮いてるかもしれないけど、インスタで1万人からは評価されているんですね。変わらない意識や意見は絶対常に存在するので、必要なのはノイズをフィルターして、自分を評価してくれるところに耳を傾けたり、自分がやりたい方にこう進んでいく意識やスキルだと思います。
柚木:今の竹内先生の話で、変わっている子が評価されるっていうのはすごく面白いなという風に思う部分がある一方、みんな変わっていよう、普通は良くないみたいな意識にもなってくるかもしれません。また、自分を評価してくれるところっていうのは、ある意味、自分に都合がいいところの声だけ聞いてしまったりというマイナス面も考えられるのかなと思ったんですけど、そのあたりどうお考えになっているのでしょう。
竹内 :言われてハッとしますね、いや、ほんとどうしようって感じですが、それをどうしようっていうのが、我々の世代の仕事になるのかなという気がします。
柚木:そうですよね、だから多様性も尊重しつつどうしていくのがいいのかっていうのが、まさに、今の我々の世代のところかなってことですかね。
今村:私のいじめがなくなってるという話は、いわゆるはみ出し者のことだったんですけど、はみ出し者ってはみ出る基礎があるから、はみ出ると思うんですよね。だから、日本人はこうあるべきみたいな基礎を学校では平均的に作り、部活動とかで多様性を表していく場もありつつも、前に比べて、もっともっといろんな場というものが、学校と同じぐらいの力を持って、それをいろんな人が選択可能になっていくことで、多様性のある社会的なものが生まれていくんじゃないのかなという風に思いました。100年後に学校はありつつ、それ以外の場所のハードルがどんどんもっと低くなっていくことで、生活の場が広がっていく、というのが、今回の「ヒト」としての結論かもしれません。
MC:最後の「イミ」は義務教育について、100年まで行かなくても未来に残っているのか、残っているとしたら、どんなカリキュラムに変化しているのかをお伺いしたいと思います。
柚木:義務教育は100年もすれば残ってないかもしれないけれど、直近いきなり義務教育がなくなることはないんじゃないかなと思ってはいます。ただ、私は学校で学ぶ基礎的な勉強は、学校の場以外のオンラインなどでも得られるんじゃないかなと思っています。では学校の役割は何かっていうと、社会性とか、あるいは楽しんだりする場であったりとか、そういったいわゆる勉強のところ以外の部分という役割が大きくなっているんじゃないかなと思っています。
柚木:あと、義務教育で今カリキュラムがしっかり決まっているんですけども、そこはもっと柔軟になっていくんじゃないかなと思ってます。生徒が30人、40人もいて、カリキュラムを決められていて、ほとんど自由がない環境の中でやらされると、それは先生もやりようがないなっていう風にすごく思っていて、先生がもう少しそこを柔軟にできるように変わっていったらいいなっていうのはすごく思ってますね。
今村:割り込むんですけど、先生ってそんなに自由なものを作ることにモチベーションがあるのかなっていうのは気になりまして。先輩のプリントやテストの問題を使い回す先生とかをめちゃくちゃ見てきたので、竹内さんにはそれについても聞きたいです。
竹内:モチベーションがある人はそんなにないんじゃないかな。元々学校の先生になる人は、新しいものを作りたいことの優先順位が上に来るってことはそんなにないとは思います。ただ、先生が自由にできないかっていうとそんなことはなくて、あの手、この手といろんな手があります。
竹内:私の知っている先生では、社会科と家庭科と地理、歴史と英語、情報を全部教えていたり、家庭科の授業を5クラス一斉にホールでやったりしていて、すごい頭いいなと思いました。私も自分の情報の授業で、新しいことをやると5クラス分同じことを繰り返さなきゃいけないんだけど、全クラス合同にすればいいんだっていう、そういうやり方もあります。その先生は家庭科の事業に毎週ゲストを呼んで色んなプロジェクトをやっていました。こんなやり方もあるんですけど、今の制度だと、それが色んなやり方をしないとできないっていうのはあるので、柔軟になったらいいなとは思います。
竹内:元の質問に戻ると、100年後にも義務教育はもあると思いますし、一定の年齢層までは学びというものを知らないので必要かなと。さっき、マックとかユニクロですみたいな話をしたんですけど、服を着るとか食べるっていう行為をどこかで知らなきゃいけないので、一定年齢までは必要だと思います。
今村:ちなみに何歳ぐらいまで必要でしょうか。
竹内:18歳かな。
今村:今は義務教育が中学校までだから、むしろ伸びるということですかね。
竹内:ああ、15歳でもいいかもしれないですね。もうかなり労働人口減っちゃって、15歳からみんな働いてくれ、みたいになるかもしれない。
参加者:基本的な学びが義務教育を通じて必要って話だったんですけど、基本的な学びっていうのが何なのかってところと、なぜそれを学校で学ばなければいけないのかってところをより深く伺いたいです。僕は正直、国語、算数、理科、社会をわざわざ学校で学ぶべきだとは全く思ってないし、もっと言えば、協調性をなぜ学校という場で学ばなきゃいけないのっていうのがあんまりしっくり来てないんです。
竹内:いいご質問ですね、私なりの知見とか意見を言いますが、例えば走って息が切れる時、心臓や肺というものがあることを知らなければ、自分に何が起きてるかさえ分からないですよね。この辺は生きる上での知見として、最低限必要なレベルだと思えるものがあって、それが、義務教育の中のカリキュラムに落とされてると思ってます。
竹内:で、これをなぜ学校でやらなきゃいけないかというと、そうしないとやらないからです。いきなり学校がなくなって、では、各家庭でとか各個人が学びたいと思ったらやってくださいって言ったら、学びっていう需要はもともと人間にはないと思ってるので、私よく言うんですけど、人間の三大欲求の次にある欲求は「金」「モテ」「健康」だと思ってて。これやると金稼げるよとかこれやるとかっこいいよとかって、めちゃめちゃ人来るんですけど、 これやると知識つきますよ。みたいな訴求しても誰も来ない。学びにはそもそも需要がないので。
竹内:学校がなかったらみんな学ぶかっていうと、大半の人は学びをしなくなっちゃうと思ってます。 ただ、さっき言った18歳というのが適切かっていうと、ちょっとわからないですね。人によって発達段階も違うので、人によっては12歳ぐらいでいいかもしれないですし、15歳ぐらいでもいいなと思ったら、高校行かずに働いたり、何か活動してもいいと思います。その平均値をとると、まあ15歳から18歳ぐらいになるんじゃないかなという気がします。
柚木:僕は義務教育も、小学校もどちらかといえば必要ないっていう立場なので、そこが考え方としては違うところかもしれないですね。学校で学ばないといけないものっていうの存在しないと思っているので。
柚木:自分自身を振り返ると、今の社会で生きていくために必要なものを学んだのは学校だったけれど、 それはただ今の社会がこういう日本の社会だからこそ、多くの人たちとうまく生きていくために必要な要素を小学校で学べたような気がしています。それが同質性が集まる社会から多様性に変化していくのであれば、同じ学校みたいな場よりは、それぞれが自分で学びの場や体験する場を選んでいくっていうことになるんじゃないかなと思っていますね。
柚木:あと、僕が一番必要だなと思っているのは自分で考える力だで、僕はかなりそこの部分を(義務教育で)奪われたなというか、考えづらい環境はあったなって思ってしまうんですよね。今の義務教育は自分では考えなくて、どちらかと言えば、言われたことをそのままやっていく。正しいものっていうのはこれですよ。って教えられて、その理由とかを考えずにただ理解をするっていう、そういう考える力っていうものを失いやすいような環境にあるんではないかなという思っているので、その考える力っていうのをどこかでもっと考えたかったなっていうのは、すごく思ってるところがありますね。
MC:最後に、今日の大きな大きなテーマとして、100年後に世界はどう変わっているのかを答えていただけたらと思います。
今村:私個人の意見になってしまうと、学校はそれこそインフラ的な設備で、現状の義務教育も形は全然変わってるとは思いつつ、学校という設備は残されていて、いろんな人が同じような場所に集っていくっていう状況は変わらないと思ってます。
今村:一方で他の学び場とかも台頭してきて、学校に費やす時間が今よりももっと短くなって、義務教育がもっとシンプルになりつつも、それぞれの人の多様性やこれをやりたいっていうところは、もっと伸びていくと思います。
今村:その1つの選択肢として、オンライン授業がもっともっと一般的にこう浸透して欲しいです。来週オンラインですとか、来週ちょっと変なことしてきますというはみ出し者的なものが、学校からもっと直結して、簡単にはみ出せる状況になるといい。学校以外の場所と学校の場所、両方ありつつもそのレベル感が50:50みたいな感じになって、簡単にはみ出せる社会だといいなと私は思ってます。
柚木:100年後はテクノロジーが発達し過ぎていて、想像できることはほとんど叶えられてしまっていると私は思ってしまうので、そうなるとただ楽しく生きてるんじゃないかなと思ってます。直近で言うと、 今は学びの機会も強制的に与えられている部分があるんじゃないかなと思うんですけど、今後は自分で学びたいことを選んでいけるようになると思いますし、内容としても、実践に近いものを学んでいくようになるんじゃないかなと思ったりはしています。
柚木:ただ、さらにその後で言うと、私は暮らしていくために必要なものっていうのがどんどん必要なくなっていくんじゃないかと思っているところがあるので、そうなると、直接的に何か役に立つから学ぶというよりは自分が好きなものを学んだり楽しめるようになってくるんじゃないかなと思っていますね。
柚木:自由になるということは、自分で自由に選べることですけど、自分で全部選ぶのって大変なので、みんなが行くよねっていう(義務教育のような)もの自体はある程度大きなものとして残っていって、その周辺に色々なものがあるっていう状態なんじゃないかなと。大きな一定の塊っていうのは残っていて、その周辺の中に選ぶところがあるっていう状態じゃないかなと思ったりしてます。
竹内:子供たちが学びをする時に、1番迷うものがあって、それが時間と場所なんですね。いつ勉強しようとか、どこで勉強しようみたいな。時間と場所を決めてあげるっていうのが、結構教育の大事な役割だったりします。だから学校というものは必要で、場所はここで時間割がこうという、時間と場所を決める大きな要素を持ってるんですね。 100年後も学校は時間と場所というWhenとWhereは変わらないでしょう。変わるとしたらWhatとWhoの部分、何を誰にみたいなところで、誰という点ではマルチエイジ化はすると思います。小学生から高校生ぐらいまでごちゃ混ぜのクラスというのは先行事例としてはたくさんありますが、もっともっと進むと思います。小1だけど、小6の授業が受けれるとか。
柚木:いいと思います。
竹内:何を教えるっていう部分も、今の義務教育である必修科目以外に、例えば企画とかデザインとか農業とかあってもいいですし、 自分だけの時間割を作ってもいい。「国語_算数・理科・ポケモン」とか「国語・算数・理科・アイドル」とかでもいいと思うんですね。なんでもできるというより、ポケモンマニアになった方が年収が高くなるかもしれないので、自分の時間割を自分で決めるような、そんな自由になって欲しいなと思っています。