SAVE THE UDON
うどんの手打ち文化を100年後に残す
ナナナナ祭2020では、昨年に続き、うどん教の儀式「うどんセレモニー」を「 SAVE THE UDON」「The Herbal Hub」「KaMiNG SINGULARITY」の3プロジェクトで開催した。
食時にこれまでにない幸福をもたらす(神を降臨させる)ために、生涯最高のうどんを自らの手で生み出す「オンラインうどん打ち体験儀式」の様子を「 SAVE THE UDON」プロジェクトのリーダー・小野ウどんがレポートする。
ナナナナ祭2020「うどんセレモニー」の様子
リアルな場所で開催した前回とは異なり、オンラインで、しかも数時間だけの交流だと熱は生まれにくい。そのため今回は「実感値をどう出すか」を考えながら、自分たちがいない部分でも世界観を壊さないようにキット自体の厳かさはもちろん、届いた後の開封体験を意識して美しくキットが並ぶようにセッティングした。
キット内容は、生地作りで使用する赤毛か黒毛の神毛がランダムに装着された神が宿る延し棒、「地」より神より賜りし教祖御用達の麦、「天」より神の涙と呼ばれる神聖な水、「海」より浄めの塩。そして、麺打ちの際に使用する魔除けの打ち粉と浄化の茶のセットになっている。
また、私自身が考える「積み上げることの大切さ」と「苦行の後の幸福」を表現するために、氏子(参加者)と毎週月曜日に30分のうどん打ちの修行を一カ月に渡り行った。
麺を切るための毎週月曜日に行われたオンライン修行
何の気なしに始めた修行だったが、これが予想以上に氏子には響いた。
基本的に氏子は意味もわからず教祖に言われるがまま行動していたが、次第に前傾姿勢になっていき、言わずとも密敬を行うようになっていった。なんとなくやってよかった、と思っていただけであったが、儀式(イベント)後に初めて氏子達と話をすると、この修行があったからこそちゃんと儀式にも参加しようと思ったという。修行は儀式に参加するハードルになるのではなく、むしろ参加のモチベーションとワクワクを儀式当日まで高めてくれる重要な役割を担っていたのだ。
食のみならず、不便なものは淘汰される便利で溢れる社会になった。「便利」で「簡単」で「早い」といったうたい文句は誰もが求めるもの。そういった意識が戦後日本はもちろん世界には常にあり、これからも人々は求めていくだろう。楽をしたい、簡単に生きたい、危険から遠ざかりたい、安定したい、これらは人間にプログラミングされた本能だ。
うどんの場合、大手チェーンは大きな力と資金を使い、個人ではやっていけないくらいの原価率と味、安定性で世の中が求めるものを生み出している。
AIとの関係がより緻密になり、今後は職人や人の手でしかできないような繊細な要素が多いものも、徐々に機械が生み出せるようになっていくだろう。これを追求していくことが大きな企業の役割なのだから。そこに味だけ、見た目だけ、効率だけといった単純な要素で大手に個人は勝てるわけがないのは明白だ。人も金も何もかも大きいものが、力のある大企業なのだから。
私は「大組織によるAI的な効率と受動」と「個人による人間的な非効率と能動」があると考える。
前者は世の中に必要なものとしてすでに認識され、求められている理解ができるもの。しかし多くの人はこの後者であり、個人の飲食店などはほとんどが前者的では生き残っていけないだろう。
この能動と受動という考え方から導き出されるのは、意味の時代から理解できない時代へのシフトだ。AIと人間の比較において、意味を越えた熱が本当に価値を持つようになる。宗教性は個人飲食店のアプローチの一つとしてポピュラーになる。誰もが理解できるものから、芸術性ともいえる不完全さという、機械と比較した上での人間性の時代とも言える。
我々が豊かな食を享受していくためには、これらをわけて考えることが必要であり、「うどんセレモニー」ではここでいう後者、つまり「個人による人間的な非効率と能動」を表現した。
「うどんセレモニー」は味以外の、さらに言うと科学を越えた「美味い」と感じる要素を見つけるため、「信じる心」という怪しく漠然としたものを“宗教”という形で表現することで、ある種のポップさを持たせた。なんでもないうどんを極限まで旨くするには、前者的な「大組織によるAI的な効率と受動」という考えから脱却していく必要があると考え、今回の儀式を行った。
儀式当日は非日常的な空間と、ちょっとした会話やミスによって現実に意識を戻さないように、オンラインながらも演劇に近い感覚で行った。
20分の茹で時間中に行ったウードンの舞い。神への感謝を体で表現
まず設定背景を天の声で説明し、巫女が前儀として浄化の儀を実施。その後、教祖が登場、祝詞を熱く唱え、踏みの儀、延しの儀、切りの儀を行う。それぞれに意味を持たせたた教祖デモンストレーション後に、門徒が行った。
ここから奉納の儀が始まる。混沌の大釜から神が生まれるシーン、ウードンの舞いなど、麺打ちとは全く関係のない神への敬意を表した所作がふんだんに盛り込れ、よりうどん作りを神聖なものへと昇華させていった。
切り終えた麺を神棚に向け、神に奉納する緊迫のシーン
今回は参加者が疑うことなくこの儀式に身をゆだねてくれたおかげで、そこに神を見ることができた。参加者からの声をここに抜粋する。
「修行の存在が儀式へのモチベーションをあげてワクワク感を出してくれた」
「見たこともないイベントだったので新鮮だった」
「うどんが美味かった」
正直、ほとんどの参加者がこの儀式における動作を意味もわからずに行っていたであろう。しかし、その余白こそがこれからの時代に必要とされてくる要素なのではないか。
修行というハードルは、積み上げることが最高の体験に必要なことだと証明するもの。「うどんセレモニー」を行う前、そう考えていたが、結果その通りになったと思う。
今後は意味や効率だけを求めないプロダクトやイベントをより生み出し、純粋な熱と狂気をもって価値を作っていく。そして次こそは「うどんセレモニー」を芸術祭に出展し、うどん崇拝を止めずに、門徒を増やしていきたい。
■関連リンク
小野ウどん公式HP
https://www.hakumenshi.com/うどん刺し通販サイト
http://udonsashi.com/
■KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-
aiが神になった世界の体験を通して、人工知能と人間の良い感じの距離感、或いは信仰の形を身体感覚から探る想像機会をつくりたい。
レポート公開中:AIと人の間にあったもの。スペキュラティブ・フェスティバル「KaMiNG SINGULARITY2020-Human Distance-」を終えて
■るすにする
「魔除け」を通して着物の面白さを伝え、ファッションで非接触型コミュニケーションをとる未来を作りたい。