ICHIGIKU
社会に一つ、新たな軸を。
「月で飲むお茶って、どんな味がするんだろう?」
宇宙に行くことにとどまらず、その先の暮らしや文化を問うことから生まれたのが、松広航が率いるプロジェクト「ICHIGIKU」です。宇宙服をモチーフに、ファッションやアートといった異分野と融合させ、新しい文化を創造しようとする彼ら。もともと宇宙開発の専門家としてキャリアを積んできた松広が、なぜファッションというテーマを選んだのか? そして「宇宙×ファッション」というユニークな視点から、どのような世界を描こうとしているのか。
異分野を軽やかに結びつけ、これまでにない価値観を生み出そうとする「ICHIGIKU」と松広のストーリーに迫ります。
—— 「宇宙」は単体で見ても大きなテーマだと思うのですが、「宇宙×ファッション」に取り組むことになったきっかけは何だったのでしょうか?
松広:俳優やファッションデザインをしている谷 裕介くんと箱根のイベントでたまたま出会って、15分ほど話したんです。それだけで「宇宙服をテーマにしたプロジェクトをやろう」という話になり、そこからチームを結成しました。100BANCHでは僕がリーダーという形で進めていますが、谷くんのインスピレーションをどう形にするかが大きな原動力になっています。
ただ、勢いで考えナシにスタートしたわけではなくて。僕はもともと宇宙関係のベンチャー企業を仲間と経営していて、以前から、宇宙という分野は他の分野と組み合わせることで大きく広がると感じていました。特にアートやファッションは、自分にとってまだ未開拓の領域でしたし、ちょうど30歳になったタイミングで「次の10年に向けて新しい種を植えたい」と思っていたときに谷くんと出会い、「これだ」と思ったんです。
—— もし谷さんと出会わなかったら、どんなことをやっていたと思いますか?
松広:遠からず似たことをやっていたとは思います。個人的に興味があるのは「文化がどうつくられていくか」ということなんです。現状の宇宙開発は、月への到達や宇宙の成り立ちの発見といった「宇宙に行くこと」自体がゴールになっているビジネスモデルが多いんです。でも、たとえば、月に人が住み始めたらそこでの人間関係や生活はどうなるのか、といった次の段階については解像度が低いと感じています。
僕の中の命題として「月で飲まれるお茶ってどんなお茶だろう?」という問いがあるんです。宇宙をより身近に捉えたときに、そこにはファッションや生活、アートのような要素も入ってくるはずで、そうしたテーマを深掘りしていきたいと思っています。
—— 松広さんは理系のバックボーンを持ちながら、カルチャーやアートのような文系的な分野に興味を持ち、それを組み合わせようとしているのが面白いですよね。
松広:実は、バリバリの理系というわけでもないんです。大学では機械工学を専攻していましたが、映画制作のサークルに入っていて文系の友達も多かったですし、ものづくりやアートの領域にも昔から興味がありました。
早稲田大学を1年間休学してニューヨークに留学したときには、ビジネスや心理学を学んでいて、理系ではなく文系の仕事に就こうと考えていました。学部の2年間は機械工学を頑張ったんですが、正直、苦手でついていけなくて(笑)そのとき、「将来は文系職に就こう」と思いました。文系の方が自分に向いているのではと思ったのですよね。
とにかく「選択肢を広げたい」と考え、思い切って1年間休学して、ニューヨークでビジネスやマーケティングを学びました。その後、学部3年で日本に戻り、大学生活を再開しました。
—— 戻ってきたときの気持ちはどうでしたか?
松広:文系の分野を学びつつ、自分が理系なんだと再認識しました。アメリカではアイデンティティを問われることが多く、「自分は何ができるんだ?」と常に考えさせられました。そのとき、理系のバックグラウンド、特にロボットに関する経験が自分の強みだと改めて気づきました。
結果的に宇宙関係の仕事に就きましたが、そんな経験もあり、もともと理系と文系の要素をうまくミックスした活動が好きなんだと思います。仕事では、宇宙に関心を持つ人を増やすために、宇宙を体験できるコンテンツの提供、人材育成の仕組みづくりを行っています。
—— たくさんの人が宇宙に興味を持ったほうがいいと考えている理由はなんですか?
松広:様々な分野からアプローチすることで宇宙開発がより早まると考えています。ここ5~10年で、理系と文系の「間」の領域の職種が増えてきていると感じます。以前の宇宙分野は、もっぱら理系の領域を突き詰める方が多かったです。しかし最近では、一般の認知拡大やエンタメとの組み合わせなどの取り組みが盛んになり、そうした領域が大きく育ってきた印象があります。僕自身も、最初はドラえもん、大人になってからは、火星での生活を描いた映画『オデッセイ』や、『2001年宇宙の旅』などが好きです。
あとは、小さい頃にテレビで観た、星新一のショートショートも印象的でした。ただ単に素晴らしい未来ではなく、どこか不穏さや皮肉があるような未来像に惹かれます。ロボットが人間のように人格を持ったり、さらにその先を想像して作られた世界観が面白いと感じます。
要するに、SFやエンタメで見た夢のような世界が現実になるのを見るのがすごくワクワクするんです。それを「自分の目で見たい、体験したい」という思いが子どもの頃からずっとありました。
松広:子どもの頃に見た未来像を、自分が生きているうちに少しでも早く現実に引き寄せたいというモチベーションが、「ICHIGIKU」の活動の原動力にもなっています。夢見た未来が現実になったり、想像もしていなかった未来がやってくると、人々は希望を持てると思うんです。そのために、未来を引き寄せる取り組みに関わり続けたいと考えています。
—— 「ICHIGIKU」では、様々なバックグラウンドを持つメンバーを束ねていますよね。
松広:そうですね。異なるバックグラウンドを持つメンバーとの議論は、本当に面白いです。アートやインスピレーションを重視する谷くんと、理系のバックグラウンドを持つメンバーでは感覚が違います。議論していると、「それ、何を言ってるの?」となることもありますが、そこから議論を重ねると、新しいものを生むきっかけになるんです。
特に100BANCHの「ナナナナ祭」など展示の目標が定まると、皆のエネルギーが集中し、新しいものがどんどん生まれてくる。その議論のプロセスが一番楽しいです。
ICHIGIKUチームで話し合う様子。
—— 議論が一番楽しいというのは、意見の違いを受け入れられる松広さんの懐の深さですね。
松広:そうでありたいです(笑)また、そうでなければいけないと思っています。メンバーはバランスがとても良くて、互いに補い合える関係なんです。それぞれ考え方や得意なことが違うので、組み合わせによって別々のプロジェクトができるくらい多様性がありますね。谷くんと僕だとこういう議論ができる、谷くんと画家の際さん、または彫金家の朝さんだと違う議論ができる、といった感じです。
—— まるで万華鏡みたいですね。
松広:それぞれの思いをお互いのアイデアで補い合える感じがあって、すごく面白いです。ただ、たまに決まっていた話が急に変わることもあって、「え、どうするの?」という場面も結構ありますね(笑)
メンバーである画家の際さんが描いた絵があったんですが、谷くんが「やっぱりイメージが違う」って、描き直すことになって。僕はアート寄りの判断は彼に任せているので、従うようにしています。そういう急な変更はよくありますね。全然違う視点を持った人たちなので、お互いに「そこに着目するんだ!」とか「それをそう捉えるのか」と驚かされることが多いです。なるべく多様なアイデアが生まれるように、このアイデアはこのメンバーが担当する、僕は最後にチェックするだけのときもあります。
「ICHIGIKU」は、まだ種を植えている段階だと思っています。まずは「このメンバーで何ができるか」をじっくりと考えているんです。ただ、イベントで展示をしたとき、思った以上に外部の人から理解を得られる感触がありました。なので、最初はニッチな層から始めて、最終的にはファッションモデルが宇宙服風の服を着てパリコレを歩くようなことを目指しています。
2024年夏は宇宙服の中でもヘルメットに着目し、【宇宙服の場合】 Vision1/ヘルメットと題した展示をナナナナ祭2024で実施。
—— アート寄りの判断を他のメンバーに任せているというお話がありましたが、それがうまくいっている秘訣かもしれませんね。
松広:そうですね。それぞれが自分の得意分野で力を発揮しているので、うまくいっている部分が大きいと思います。あとは、意外と上位概念では考えが一致しているんですよ。やりたい気持ちや方向性が一緒だから、そこからどう流れていってもOKというか、そういうところはすごく感じますね。
僕は「俺について来い」というタイプのリーダーではないと思っています。メンバーのいろんな経験をどうつなぎ、成果を出していくかを常に考えています。全体を見ながらバランスを取り、必要であれば僕が前に立ち、誰かが前にいるときは後ろから支える、そんなリーダーシップを目指しています。
—— 「宇宙服を日常に取り入れる未来」を目指していると伺いましたが、その先の暮らしについての考えを聞かせてください。
松広:メンバーごとに解像度は少し違うと思いますが、共通しているのは「服に対する固定概念を変える」というところです。僕個人は特別オシャレというわけではないですが、ファッションの機能や解釈が変わることはすごく面白いと思っています。
たとえば、服自体がスマホのような機能を持つとか、上から着るのではなく体に貼り付けるものになるとか。あるいは紫外線や放射線を防ぐ機能を持つ服が、宇宙でも地上でも使えるようになるとか。昔、「ゾウに踏まれても壊れない筆箱」が流行りましたよね。あれと同じで、「便利ではないけど、あったら面白い」というものが普及するといいなと思っています。
—— 面白さを重視しているんですね。
松広:はい。ただ「ファニー(面白おかしい)」というより、「インタレスティング(興味深い)」な方向で。ロジカルに意味があって、「その手があったか!」と思わせるものをつくりたいです。それが1つのイノベーションだと思っています。一方で、「哲学的な視点」では、地上にいると地球全体を丸く見ることができない、という考えもあって。
地上にいると地球は平面的に見えますよね。でも、宇宙に行くと地球が丸く見える。それによって、地球を物理的に客観視できるんです。そして、これは精神面にも影響するんじゃないかと思っています。
たとえば、地球を丸く見ることで「なんで戦争なんてしているんだろう」と思うようになるとか。僕らも星空を見たときに「なんて広い世界なんだ」「細かいことを気にするのは無駄だな」と思う瞬間があると思います。それをもっと強烈なインパクトで感じる空間が宇宙なんだと思います。
DESIGNART TOKYO2024では、指の機能に着目。【宇宙服の場合】 Vision2/FINGER GLOVESのタイトルで、フィンガーグローブを展示しました。
—— 確かに、視点がまったく変わりますね。
松広:はい。「ICHIGIKU」で取り組んでいるのは、ファッションという枠組みを通して、人類の哲学的なレイヤーを1つ上げることだと思っています。宇宙に行ったことはなくても、宇宙服のようなものを通じて、地球を宇宙から見ている感覚を得ることはできます。それが、地上では生まれなかった思想やソリューションを育むきっかけになる。そういう意味で、宇宙からの視点で新しいものを生み出すこと自体が、人類にとって価値があることだと思っています。
—— これからの「ICHIGIKU」はどんな方向性を目指していますか?
松広:まず2025年は、どんな形であれ社会的インパクトを意識した年にしたいです。支援を受けて、活動を広げられるような体制を目指します。活動自体も、共感を呼ぶ面白さや大きさを意識していきたいです。一方で、メンバーにはフリーで活動している人も多いので、彼らが生活を成り立たせながら、やりたいことに集中できる仕組みも考えています。ただ、この仕組みについては実現性がないのに軽々しく言うわけにはいかないので、少しずつ進めたいと思っています。
—— 今日、宇宙とファッションのお話を聞いていて、「もしかして宇宙って自分にも関係があるのでは」と考えるようになりました。
松広:活動を通じてそういった気づきを与えられているとしたら、すごくうれしいです。自分もニューヨーク留学で考えをガラッと変えられた経験があります。それと同じようなことを、この活動を通じてやりたいという思いが、モチベーションにもなっています。
—— 「ICHIGIKU」を通じて、社会にどんなメッセージを伝えたいですか?
松広:「ICHIGIKU」を通じて伝えたいのは、「今の当たり前は一時的なものに過ぎない」ということです。たとえば、今の服のトレンドや形も、昔は着物が主流だったように、時代とともに変わっていきます。新しいものを受け入れることへの抵抗を減らし、「こんな形もあるんだ」と楽しんでもらえたらいいですね。それが、「ICHIGIKU」で挑戦を続ける意義だと思っています。
僕たちの活動の根本には、「既存の当たり前を壊して、新しいものに挑戦する」という思いがあります。今の服の形やトレンドも一時的であるように、新しいものを受け入れることに抵抗しなくていいんだ、というメッセージを伝えたいです。「ICHIGIKU」を通して、それを形にする未来に向けたムーブメントをつくることが目的です。
最終的にはファッションショーを開きたいと思っています。ぜひ来ていただければと思いますし、専門性がある方には協力していただきたいです。プロダクトが販売できるようになったら、ぜひ買って広めてほしいなと思っています。今は、とにかく地道にやっていきます。
(写真:小野 瑞希)