ギグエコノミーの実態と私たちが生きる社会に、 美術作品を通じて問いを投げかける
DELIVERY DRAWING PROJECT
ギグエコノミーの実態と私たちが生きる社会に、 美術作品を通じて問いを投げかける
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東京藝術大学大学院 先端芸術表現学科(2022年4月入学)
KDDI総合研究所「Future Gateway」 山口 塁
自分の思い通りにいくことなんて、そうそうないとわかっているのに、その通りにいかないとイライラしたり不安になったり。でも人生で不意に訪れる「予想外」を楽しむことができれば……。
現代美術作家としてRui Yamaguchi名義で活動する山口塁は、もともと「プロ無職」を名乗りブログ等での発信をメインに活動していましたが、ある日突然芸術の道へと歩き始め、これまでに絵画や映像、パフォーマンスなどさまざまなスタイルで作品を制作してきました。彼がアーティスト活動において大事にしているのは「予想外を楽しむこと」。何もかもが数値化され、それをもとに判断していくことを効率的と判断する現代社会で、思いがけない偶然を自分の人生に取り込んでいくことを全力で楽しむ生き方は、とても勇気があることではないでしょうか。
そんな山口の、今日に至るまでのアーティストとしての歩みや、これからのビジョンについての言葉をお伝えします。
——元々「プロ無職」として活動していた山口さんですが、それはどういった活動だったのでしょうか。
DELIVERY DRAWING PROJECT:山口塁
山口:「プロ無職」って言ってもよくわからないですよね(笑)。きっかけは、2016年に始めたブログでした。子どもの頃から海外を放浪しながら生きることに憧れがあったのですが、当時は会社員をやりながらブログを書いていました。そうしたらどんどん人気が出てきて、それならと独立して「プロ無職」を名乗るようになったんです。ブログなどでの発信活動で収入を得ていましたが、自分にスポンサーがついてくれたり、オンラインサロンをやったりして、無職ですけど全く生活には困りませんでした。それからは世界を旅しながら、いろんな人たちに会って取材して、その生き方を記事にまとめてブログで発信するという生活を3年ほど続けました。まさに自分が子どもの頃に思い描いていた生き方です。でも、ある時「壁」にぶち当たったんですよ。
——「壁」とは?
山口:その人が生きてきたかけがえのない数十年の人生を削ぎ落として削ぎ落として、一つの記事にまとめてしまうことの恐ろしさに気づいたんです。閲覧数を増やすためにはバズらせなきゃいけない。そのためには過剰にキャッチーにしたり、刺激的なタイトルをつけるテクニックが必要になってきます。でも「本当にそれでいいのかな?」と疑問を持つようになってしまって。インターネットでは全部数字で判断されてしまう、そのことが怖くなったんです。あと、世界を旅しながら暮らしていて、地球の表面だけをなぞっている感覚がありました。深く潜り込めない感じというか。そういったことに嫌気が差して、自分のマインドに変化が起こっている時にアートへの興味が芽生えました。それまで全くアートには触れてこなかったのですが、バルセロナのピカソ美術館に行ったり、画家の友達の個展に行くようになりました。その友達の個展に行った時、その人が誰よりも自由に見えたんですよね。アートってなんだろうという興味がますます強くなって、じゃあ自分も描いてみようと思ったんです。2019年4月に本格的に絵を描き始めました。
——2020年の12月には原宿のギャラリーで個展「Suchness」を早くも開催しています。
個展「Suchness」
山口:コロナが流行り始めたころ、地元の金沢に帰ったんです。ちょうど実家が空き家になる話があったので、引き取ってアトリエに改造してひたすら一人で絵を描いていました。その絵が溜まってきたのもあって自主開催で個展を開いたんですけど、それがきっかけでアートのグループ展やアーティスト・イン・レジデンスにも招待されるようになりました。ただ、そこでまた壁にぶつかって(笑)。
——また壁が現れたと。
山口:それまではアートを独学でやっていたんですけど、そうなると展示があっても観に来てくれるのは友達だけなんです。友達だからみんな褒めてくれるんですけど、アートをやるのであればその先に行かなければいけない。プロから批評をもらわなければならない。作品と観客で関係性を作れるように、作品を自立させる方法が必要になってきたんです。それで「アートト」という現代アートの教育プログラムを行っているスクールに通いました。そこでアートに関する一通りのことを学んで、さらに小沢剛さんや山城知佳子さんといった国内外で活躍するアーティストの存在を知ったんです。お二人の作品には強い影響を受けました。アートトもあと少しで終わるという時に、そのお二人が教授をやられている東京藝術大学の先端芸術表現科がすごく気になってきて。美術館やコンペでよく見る国内のアーティストはこの科の出身の方が多かったですし、内容的にも自分に合っていると思い昨年受験してその春に合格しました。
——山口さんは東京藝術大学入学とほぼ同時の2022年3月に100BANCHのGARAGE Programに応募されました。
山口:100BANCHに入居している知り合いが多くて、存在自体はその前から知っていました。「FHP〜Fundoshi Hack Project〜」の星野雄三さんや「natto pack2.0」の鈴木真由子さんはプロ無職時代からの知り合いです。100BANCHに来たら誰かしら知り合いがいるというのは、とてもいい環境でしたね。そして、何より100BANCHが渋谷にあることが大きかった。当時は渋谷の近くに住んでいたので、そういう場所に思う存分制作できる場があるのはとても助かりましたね。めちゃくちゃ通ってました。
——100BANCHではフードデリバリー配達員の1日の配達ルートをドローイング作品に転換する作品「DELIVERY DRAWING PROJECT」に取り組みましたが、これはどういった思いから生まれたのでしょうか。
山口:先ほど言ったように、絵画から僕のアート活動は始まりました。でも続けていくと、「自分が描く」意味を考えるようになってしまったんです。どうしても自分が主語だと出来上がりが予想できてしまうんですよね。それに面白さを感じなくなってきて、「誰かに描かせる」ということにすごく興味が湧いてきたんです。作品を作る上で、自分が主体性を持っていることに当時は問題意識が強くありました。それでいろいろな職業の人に描かせてみようと思いつきました。コロナ禍でフードデリバリーをやっている人が増えてきた時期だったので、まず彼らにお願いしてみるのはどうかなと。そこでUber Eatsの配達員をやっている友達にGoogle MapのGPSをオンにして配達をやってみてくれないかと頼みました。それでその配達ルートを見てみたらヤバいルートが浮かんできて(笑)。とてもカッコよかったんですけど、配達をやっている当人は無意識。これめちゃくちゃ面白いと思ったのが出発ですね。
——100BANCHでは具体的にどんな活動をされていたんですか。
山口:僕自身はフードデリバリーをやったことがなかったので、Uber Eatsの労働組合への取材を行いました。毎月オンラインで定例会が行われているんですけど、自分も参加させてもらい、そこでもいろいろな学びがありました。労働者である彼らはいろんな問題と戦っているんですよね。法律からもプラットフォームからもはみ出た存在で、それを変えるために戦っている。その一方で、別に今のままの立場でも構わないという人もいるからドライバー同士でも戦いがあって。その議論の熱にプロジェクトそっちのけで純粋に感動していました。あと100BANCHではエンジニアのめーぷると一緒に、配達したルートがリアルタイムでドローイングに変換されるアプリを開発しました。最終的には取材で知り合った配達員さんに協力をお願いしてGPSをつけてもらい、フードデリバリーをしてもらいました。そのアプリを使ってできたドローイングを用いて、最終的に2mぐらいの作品になりました。MDF(中質繊維板)をレーザーカッターで切断して、Google Mapと同じ色に塗装しています。
「DELIVERY DRAWING PROJECT」の展示風景
——大学でも作品作りを行われている中で、100BANCHでの活動はどのような意味があったのでしょうか。
山口:自分は同時に複数プロジェクトを持っていて、どの場所に何を当てはめるか考えるタイプなんです。だから100BANCHのある渋谷は「DELIVERY DRAWING PROJECT」にとってうってつけの場所だと思いました。道がグネグネして坂が多くて、出てくるルートも面白くなりそうだなっていう、そういう興味が湧く場所でしたね。
——山口さんが最近行ったプロジェクトの一つに、ホットサンドメーカーを持って世界各地を旅する「ホットサンドメーカーズクラブ」もありますが、これはさまざまな場所でパフォーマンスを行うプロジェクトですよね。
山口:コロナの時期、ネットでバズっていた燕三条キッチン研究所の「4w1h」ホットサンドメーカーを試しに買ったらハマったんですよ。で、ある時友達とホットサンドメーカーの形状が武器みたいだという会話になり、これで何か組織作ろうぜと盛り上がりました。そこから「ホットサンドメーカーズクラブ」という名前が生まれるんですけど。
——そこからプロジェクトになっていったと。
山口:納豆、韓国のり、チーズとかいろいろな異文化の食材を混ぜても、ホットサンドメーカーで挟んで焼いたら大体うまくなるじゃないですか。そこに思想とかイデオロギーは関係ない。国同士仲が悪くても、挟んで食べちゃえば関係ないじゃんと思ったんです。それで昨年、ヨーロッパの芸術祭を見に行った時に、ホットサンドメーカーを持っていきました。そういう感じで始まったプロジェクトだったんですけど、予想外の面白い出会いがあったんです。普段の旅ではホットサンドメーカーなんて持っていかないですよね(笑)。でもそれを持っていくことで、あるコミュニティに入っていきやすくなるかもしれないし、飯もこれ一つで作れるし。パンは世界中で手に入りますから。いろんな場所で、いろんな人に出会って、その人たちの郷土食材を挟めば面白いかもと思ったんです。
——実際に現地ではどのような出会いがあったんですか。
山口:ベルリンでたまたま移民のウズベキスタン人と出会ったんです。めちゃくちゃ面白い奴だったんですけど、めちゃくちゃヘビーな人生を送っていたので、彼へのインタビュー映像を作品にしました。それを「A-TOM ART AWARD」というアートアワードに応募したら、「ソノアイダ賞」を受賞できて。この副賞で「ソノアイダ#新有楽町」でのアーティスト・イン・レジデンスに参加させてもらえることになったんです。彼に会ったのは本当に偶然でしたけど、そういった予想外を自分でどう作り出せるか。「DELIVERY DRAWING PROJECT」もそうですけど、そういったことが自分の中で今大きなテーマになっています。
——今お話に上がった「ソノアイダ#新有楽町」でのアーティスト・イン・レジデンスが、山口さんの直近の展示作品ということになります。ここでは占領下の有楽町界隈を題材にしたパフォーマンスと映像インスタレーションを行ったそうですね。
山口:当初はホットサンドメーカーズクラブをやろうと考えていたのですが、有楽町にあるソノアイダのビルが火気厳禁で。それで何やろうか考えていたら、会場の横に「第一生命日比谷ファースト(旧:第一生命館)」というビルがあり、そこはかつてGHQの本部だったそうなんです。それとウズベキスタン人の彼の話も関わってくるんですけど、彼に「日本ってアメリカのことをどう思ってんの?」と聞かれたんですね。ウズベキスタンはソ連に組み込まれていた歴史があることから、彼は酔っ払いながらロシアへのグチをこぼしていて。加えて、アメリカのグチも。そういう話から、彼は「お前ら日本人はアメリカに原爆を落とされたけど、どう思ってるの?」「俺はアフガニスタンとの国境の町の出身で、9.11についても思うことがたくさんある。日本人としての意見じゃない、君の意見を教えてくれ」 と。そういう話題に直面することはこれまでもあったのですが、自分はそれに対する回答を持てずにいたんです。そういう流れや偶然があったので、ソノアイダの展示では占領下の日本の歴史を題材にした作品を作ろうと思いました。
ソノアイダでの展示風景
山口:リサーチしていくと、当時はGHQに接収されて、日本なのに日本人が入れない場所が有楽町にたくさんあったそうなんです。そういったかつて接収されていた場所に、アメリカっぽいものを持って突入していくパフォーマンスをして、それを映像で撮る、みたいな作品を作ってました。第一生命日比谷ファーストとか東京會舘とか、とても綺麗なところにハンバーガーとコーラを手に持って、くちゃくちゃ音を立てながら突入していったり。そんなことをほぼ毎日やってました。
——占領下の日本をリサーチしていく中でその他に新たな発見はありましたか。
山口:アメリカ軍(進駐軍)は、自分達が暮らしやすいように道路標識とか名前を「GINZA」とか、どんどん横文字に変えていくんですよ。それは支配した側から見れば当たり前なんですけど。その延長のおふざけなのか、銀座4丁目交差点に「TIMES SQUARE」って看板をつけたりしていたんですね。その看板の前で握手をしているアメリカ軍の兵士とそれを奇妙に見ている日本人の様子を撮った写真が残っているんです。完全なプロパガンダのように見えるんですけど、自分は面白いと思ってしまって。これを80年経って自分がやるにはどうしたらいいのか考えて、国土交通省や築地警察署に「TIMES SQUARE」という看板をかける許可を取りに行くというパフォーマンスも行い、これも映像にしました。当時のアメリカ軍は日本の法律なんか関係ないので好き勝手やれてましたけど、自分は看板をかけるだけなのにめっちゃくちゃ苦労するという。この違いは何なのか、そういうコントラストを出したかったんです。
——ソノアイダでの展示が終了した後は金沢に戻られていたそうですが、どんな時間を過ごされていたんですか。
山口:ソノアイダでの制作期間中は、戦争に負けるということはどういうことなのか、とずっと考えていました。今世界ではリアルタイムで戦争や支配が行われていますけど、日本もそれを他国にやってきた歴史があるわけで。ソノアイダでの展示のフィードバックでも、アーティストは暫定的な回答を持っておいた方がいいっていうことは言われましたし、問いを投げっぱなしにするのは良くないと思うので、金沢でもその問いを考え続けています。まだ自分なりの答えは出ていないのですが。
——次の作品の構想も既にあるのでしょうか。
山口:自分の曽祖父が日露戦争に出兵したという話を聞いたことがあったので、それをテーマに作品を作りたいと思っています。わかりきってることですけど石川県の先には日本海を挟んでロシアがあるんです。だから海に対して何かパフォーマンスをできないかなと。日露戦争における石川県関連の戦死者は2400人ほどと言われていて、今年の正月に2400回海岸の砂を海に向かって全力で投げて、その様子を映像にまとめました。そういう意味のない行為をひたすら繰り返すことで物語は生まれるのかなと。まだ作品になるかわからないですけど、そのテーマで何ができるかいろいろ調べているところです。
——山口さんの経歴を伺っていくと、いろいろな出来事や作品が連鎖的につながっていくように思います。
山口:僕の人生そんな感じなんですよ、環境に染まりやすいというか。これがやりたいからあそこに行こうって場合もあるけど、その逆もすごくあって。たまたまそこに流れ着いたことで生まれる作品もある。そうやって流れるような生き方をしたいんです。今でも毎日「子どもの時はアートをやりたいなんて1ミリも思っていなかったのに、なんで俺アートやってるんだろう?」って思うんです。「プロ無職」と名乗って肩書きを曖昧にしていたら、なぜか美術家に転生した。それが面白いですよね。そういう偶然や予想外を楽しんで、自分に取り込んでいきたいと最近は強く思います。
——芸術は今の世の中や社会を映すものでもあると思うのですが、山口さんはその先の未来についてどのような世界を想像していますか。
山口:未来については正直あまり意識してないですね。人生のライフプランなんて全く考えていませんし、もう全部が偶然の行き当たりばったりで生きているので。言うならば、そういう生き方を肯定したいですね。それと「作品を残したい」という気持ちもあまりないんです。美術館に収蔵されて100年後も残ることに憧れる気持ちはもちろんわかりますけど、その「残す」って考えがあまり良くないんじゃないかなと個人的には思ったりします。とにかく今は、ただやるべきことをやる。全力で作品を作ることに集中するだけですね。とはいえ一応目標は立てています。それはドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレみたいな世界最高峰の芸術祭に出展できるようなアーティストになること。そのために去年はその二つの芸術祭を観に行きました。まあでも……漫画の『HUNTER×HUNTER』って読んでます? 僕、そこで出てくる「道草を楽しめ」ってセリフが大好きなんですよ。あの言葉のように、海外の芸術祭に出るために最短でルートを立てて進んでいくんじゃなくて、それを目指す途中にある予想外のヤバそうな出会いを楽しみながら、その目標に向かっていきたいですね。
(インタビュー写真:小野瑞希)