障害のある当事者(Need-Knower)の「1の困りごと」から、誰もが快適に過ごせる社会を共創

TOM JAPAN
障害のある当事者(Need-Knower)の「1の困りごと」から、誰もが快適に過ごせる社会を共創
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TOM JAPAN リーダー 北島未菜


「支援する側」と「される側」。
その関係に、ずっと違和感があったと話す、TOM JAPANリーダーの北島未菜。
作業療法士として現場に立った経験を持ち、現在はシンクタンクで産学官をつなぐ仕組みづくりに携わりながら、TOM JAPANを率いて支援機器のあり方をアップデートしています。彼女が見つめているのは、患者の“困りごと”だけではなく、その背景にある構造や関係性でした。
「医療の現場では『患者さん』と呼ぶのが当たり前で、無意識のうちに『支援する側・される側』という構図ができあがっているんです。正直、私もその構図に染まっていた一人でした。」北島はそう振り返ります。
対して、TOM JAPANでは障害のある当事者のことを「Need-Knower/ニードノア(ニードを知っている人)」と呼び、Need-Knowerを含めた多分野の人材がチームを組んで、支援機器を開発しています。イスラエル発のグローバルムーブメント「TOM(Tikkun Olam Makers)」の日本版として2023年にスタートしたTOM JAPAN。これまでに開発したプロダクトはTOMグローバルのベストアクセシブルデザイン賞、ベストインクルーシブデザイン賞を受賞したものも。大学や企業との連携も広がっています。
「障害やちがいは補うべきものじゃなくて、新しいプロダクトの起点になる」。誰かの困りごとを解決するプロダクトをつくり続ける北島の思いと現在地を聞きました。
──これがTOM JAPANでつくっている支援機器ですね。どうやって使うんですか?
北島:これは「ジップロッククロープナー」で、片手でもジップロックが開け閉めできるんです。こっちはコンタクトレンズのオープナーで、指に力が入りにくい方でも使えるようにしています。

北島:私は大学で作業療法学を学び、大学院では認知症の研究をしながら作業療法士として病院に勤務していました。あの頃は、実際に当事者と話してはじめて見えてくる困りごとがたくさんあって……。頭では「そういう不便もあるだろうな」とわかっていたつもりでも、日常的には意識に上ってこないものなんですよね。きちんと対話しないと見えてこないものはたくさんあるって実感しました。
それと同時に気になったのが、ベテランの作業療法士の方が一人ひとり試行錯誤して、時間をかけて支援機器を自作されていたことでした。「すごいアイデアが詰まった道具だな」と思う一方で、「このナレッジがもっと世に共有されていればいいのに」と感じていました。私はコロナ禍で病院実習が十分にできなかったコロナ世代なんです。ものづくりを実践的に学ぶ機会がほとんどなかったので、同期の話を聞いてみても、「病院で働いていても、自助具をどうつくっていいかわからないし、学ぶ時間もない……」と課題を抱えていました。
──作業療法士の現場で体験した、具体的な困りごとの多さやそのナレッジが共有されていないことに問題意識を持って、TOM JAPANの活動をはじめたということでしょうか。
北島:そうした困りごとや現場の違和感は確かにありました。ただ、それ以上に大きかったのは、三代達也さんとの出会いと、TOMというプログラムを知ったことです。三代さんは、車椅子で世界一周旅行を達成した方で、色々と工夫しながら困りごとを解決して旅する姿を見て、「工夫次第で、こんなにできることが広がっているんだ」と心が動かされて。そこから、障害や不便を「補う」のではなく、そこにあるちがいや視点そのものが、まったく新しいプロダクトの種になるんだと気づきました。

北島:そして大学4年生のときに、オーストラリアの作業療法士・沖田勇帆さんのSNS投稿で、TOMの存在を知りました。当事者が自らの困りごとをもとにつくった解決策のデータに世界中からアクセスできて、そのデータを使って安価にプロダクトをつくることができる。そんな仕組みを見て、直感的に「面白い」と思いました。病院で目にしていた道具のデータが世界中に共有される世界線。今後、これが医療のスタンダードになりうるんじゃないかと思って、すぐにTOMのフェローシッププログラムに申し込みました。そのプログラムは障害のある方や高齢者のために、オープンソースの支援機器を開発したい学生を対象にした国際リーダーシッププログラムでした。フェローに選ばれた学生は、自分の所属する大学やコミュニティでTOMの活動を立ち上げていくという仕組みになっているんですが、実は入ってからこれに気づきました(苦笑)。私は特定の大学に閉じず全国に開かれた活動にしようと、「TOM JAPAN」という名前にして、プロジェクトをスタートしました。
──北島さんはそもそも、なぜ作業療法士の道を目指したんですか?
北島:小学生のときに祖父をがんで亡くした経験から「治らない病気を治したい」と思って、ずっと医師や研究者を志していたんです。でも高校生のときに、今度は祖母が認知症になってしまいました。母が中心になって介護をしていて、私も食事の準備の手伝いや話し相手をしていたんですが、一番つらかったのは、病気のせいで怒りっぽくなってしまった祖母と、疲れ果てた母がぶつかってしまう場面を何度も目にしたことでした。はたから見ながらも、「これはどうにかならないのか」と悩むようになり、そこから日常生活の面から支援できる作業療法士に惹かれていきました。
あと、「これは自分の家族だけの問題じゃない」って気づいたことも大きかったですね。認知症はまだ未解明なことが多い病気で、当時、日本だけで600万人以上の方がいると言われていました。今後、高齢化が進む世界全体の大きな課題になるだろうと思ったことも、作業療法士になる後押しになりました。
──そこから有言実行で作業療法士になることができたのは、何か支えになっていた印象的な出来事があったりするのでしょうか。
北島:大学入学前に『だから、作業療法が大好きです!』の著者・葉山さんに会いに行ったことがあります。実際にお話を聞いて作業療法の魅力を知れたのは、「大学で勉強して頑張って作業療法士になりたい」という糧になりましたね。
一方で振り返ってみると、昔から自然と「作業療法的な関わり方」をしていた部分もあったのかもしれません。祖母の誕生日に、家族の思い出アルバムを手作りしてプレゼントしたことがありました。「〇年〇月〇日に▲▲に行った」とか書きながら、家族やいとこたちと一緒に写っている写真を1冊に詰め込みました。祖母がすごく喜んでくれたのを見て、私も嬉しくなったんですよね。
こういった回想法*には、認知機能にいい影響があるというエビデンスがあります。当時からそれを意識していたわけではないんですが、今振り返ると、自然と作業療法的な発想で祖母と関わっていたんだなと思います。
*回想法・・・高齢者が楽しかった思い出などを中心に人生を語り、それを他者に聴いてもらうことによる心理療法の一つ https://www.mhlw.go.jp/content/001100282.pdf

──その「人を楽しませることが好き」という感覚は、TOM JAPANの活動にも生きていそうですね。
北島:そうかもしれないですね。TOM JAPANでは他の団体とコラボで、誰もが楽しめる「みんなでつくろう!体育祭」を毎年企画していて、障害のある方もない方も、学生も社会人も、みんなが同じ目線で楽しめる場をどうやってつくるかをずっと考えてきました。「全員車椅子リレー」や「バリアカード」を取り入れた障害物競走など、工夫しながら競技をみんなでつくりあげて開催した経験が、TOM JAPANのワークショップのファシリテーションにも生きている気がします。
5歳くらいの頃から、明治時代の詩人・金子みすゞさんの詩の一節「みんなちがってみんないい」という言葉を好きになって、グッズを集めたり、山口県にある記念館にも行ったりするくらいハマっていました。その後、少し離れた時期もあったんですが、就活の時期に改めて読み返したら、「これって、今私がやっていることと全部つながってるじゃん」とハッとしたんです。TOM JAPANで大切にしているNeed-Knowerという考え方も、ちがいを価値として捉えるワークショップの設計も、根っこにあるのは「みんなちがってみんないい」っていう、この言葉だったんだなと気づきました。
──障害のある方を指す言葉は色々ありますが、TOM JAPANでは「Need-Knower」という言葉をつかっていますよね。この言葉にはどんな思いがあるんですか?
北島:Need-KnowerとはTOMグローバルの言葉で、「ニードを知っている人」という意味です。困りごとや経験を持つ人を「支援される側」ではなく「ニードを知っている人」として捉え直した言葉なんです。誰もがニードを持っているという意味では、誰もがNeed-Knowerになりうる。そういう考え方が、TOM JAPANの活動の根っこにあります。
ただ、正直に言うと、最初からそう思っていたわけではなくて、最初に聞いたときは「そうなんだ」くらいにしか思っていなかったんです(苦笑)。あるとき、車椅子ユーザーのメンバーが「『当事者』は硬いけど、『Need-Knower』はカッコいいね!」と言ってくれて、その言葉にドキッとしました。
というのも、医療の現場では「患者さん」と呼ぶのが当たり前で、無意識のうちに「支援する側・される側」という構図ができあがっているんです。正直、私もその構図に染まっていた一人でした。医療現場を離れて、ワークショップで他分野の人たちと話すようになってはじめて、「自分は知らず知らずのうちに、『支援する側・される側』という価値観を持っていたんだ」と気づかされました。

Need-Knowerとの会話の様子
北島:「支援してあげる」ではなく「ニードを知っている専門家と一緒につくる」という感覚に変わったので、関係性がフラットになった気がします。ワークショップでは、医療系・デザイン系・工学系・Need-Knowerが混ざるように、かなり考えてチーム分けをしています。いろんな属性の人が混ざることで、お互いをリスペクトし合いやすくなりますし、誰もがフラットに発言しやすくなるんですよ。
──でも、Need-Knowerとフラットな関係をつくるって、言葉にするのは簡単でも実際のところは難しそうに思います。
北島:それが・・・自分としては、あまり難しいと感じたことがないかもしれません(笑)。「障害のある人と関わること」を特別視していなくて、「ただ一緒にいる」という感覚だからですかね。車椅子ユーザーの友人と一緒に飲みに行ったり、旅行に行ったりすることも普通にありますし。その延長線上にTOM JAPANの活動があるんだと思います。
そうやってフラットに会話するからこそ、思いがけない発想に行き着くこともあって、これまでに色々なプロダクトの種と出会ってきました。たとえば、ライト付きの白杖ですね。白杖は視力が弱い人が使うものですが、暗い場所では白杖自体が見えなくなるらしいのです。私たちにはそういう発想がそもそもなくて、弱視のメンバーの「夜道はライトがないから白杖が見えない」という言葉を聞いて、この事実に気づかされました。しかも、ただライトをつければいいだけではなくて、細くて小さいライトだと「電車の中で(盗撮の)カメラと見間違えられてしまう可能性もある」という話も出てきて。これは、言われないと絶対わからないことですし、また、こういう話は密に関わり続けてきたから出てきたんだろうなとも思いました。今もメンバーと試作を繰り返しながら、少しずつ形にしているところです。

メンバーと試行錯誤した、ライト付きの白杖
──試作を繰り返すのは、心が折れそうになることはないですか?
北島:正直、なることもあります(笑)。何度つくり直しても「これだ」という形にたどり着けないときとか、Need-Knowerの方に試してもらって「うーん」という反応だったときとか。でも先日、ずっと会いたかった廣瀬元紀さんとお話しすることができて、その気持ちが少し楽になりました。
廣瀬さんは、『あの子のちがいは価値になる』を書かれたロボットエンジニアの方で、重度の障害がある息子さんのために3Dプリンターで100個以上の発明品をつくり続けているんです。1週間かけてつくったプロダクトが息子さんに一瞬でポイっと捨てられてしまったこともあると言っていて(笑)。でも、届けたときに喜んでくれる顔が、何よりの活力になっているって。その言葉を聞いて、「ああ、それでいいんだ」と前を向けた気がしました。
──憧れの廣瀬さんとは、100BANCHで会うことが叶ったんですよね。
北島:はい。廣瀬さんは、息子さんのためにつくったプロダクトを1対1での販売もされていて、壊れたら修理もしているそうです。フォローアップまで責任を持って販売しているから、お客さんも納得して買ってくれるし、「こういうモデルもあるんだ」と、目からウロコでした。

100BANCHにて、ロボットエンジニアの廣瀬さんと話す北島。
北島:一方で私たちはイベントやワークショップを重ねてプロダクトのプロトタイプをつくっています。短期間で集中してプロダクトをつくり上げるMakeathon(MakeとMarathonを組み合わせた造語)というワークショップを定期的に開催していて、Need-Knowerと多分野のメンバーがチームとなって、時間内にダンボールや粘土、モールなどを使って、プロダクトの模型をつくるところまでをやります。
でも、本番はここからです。デザイナーや技術者と一緒に設計図にし、3Dプリンタでプロトタイプを出力して、Need-Knowerに実際に使ってもらって、また直して、というのを繰り返します。プロダクトとしてのゴールは、定性的ではあるんですが、Need-Knowerのニードを満たせたかどうか。それと、TOMグローバルの国際コンテストGIC(Global Innovation Challenge)に出すことをひとつのマイルストーンにしています。
ただ、単発のイベントだけでは不十分だということに気づいて。絵で描いたアイデアを、実際に機能するプロダクトにするまでには何度も試作を繰り返す必要があって、そのためにはNeed-Knowerと継続的に関わり続けることが必要なんです。でも、そこまで深く開発に関わってくれる方を見つけるのが、なかなか難しくて……。あと、プロトタイプが完成したとしても、その先に「どう届けるか」という壁があります。量産するのか、素材は何にするのか、誰がお金を払うのか。支援機器の分野は国の制度によって何が売れるかも変わってくる領域なので、出口はまだ模索中です。
──ニッチなニーズのプロダクトをどのように世の中に出していくかは、色々考えることがありそうです。それを、チームで模索しているんですね。
北島:そうですね。今はそんなことはないんですが、初期の頃はメンバーが次々と体調不良になってしまったり、突然海外に行って連絡が取れなくなったりしたこともありました。「みんな本当にTOM JAPANの理念に共感してくれているのかな」「自分のエゴに付き合わせているだけじゃないか」と思うこともあって……。
そういうときに、自分がどこに立つべきなのかを考え直すようになりました。元々、認知症や障害のある方の社会参加を実現したいと思っていたんですが、それを考えたときに現場だけではなく、企業や行政も含めた仕組みの中で動かないと難しいと感じるようになったんです。その中で、産学官の間に立てる立場として、今働いているシンクタンクを大学院卒業後の就職先として選びました。支援機器の分野は国の制度によって何が売れるかも変わってくる領域なので、行政の視点を持てることがTOM JAPANの活動にも活きています。
とは言え、やっぱり活動と仕事の両立に苦労することもあります。そんな中、支えになっているのが100BANCHで出会った同世代のメンバーたちの存在です。仕事が終わってからも、ここに来てパソコンを開いたり、土日を使ってプロジェクトを進めたりしている姿に励まされています。本当に100BANCHに入ってよかったと思っています。
──葛藤を抱えながらも、一歩ずつ着実に前に進んできたんですね。活動を続けてきた中で、手応えを感じた瞬間はありますか?
北島:先日、厚労省と経産省が主催する「日本認知症官民協議会」の総会で、TOM JAPANが事例発表をさせてもらいました。(私は仕事の関係で会社側として参加していたので、)発表は関西のメンバーに任せました。登壇したのは、あまり積極的に前に出るタイプではない心配性なメンバーだったのですが、いざ発表の場になったらきちんとやり遂げてくれましたし、周りからもたくさんの嬉しい言葉をいただきました。
そのメンバーからは、後で「この活動をやってる意義を感じた」「同世代にも伝えていかなきゃいけないと思った」という話を聞けました。(普段は言わないだけで、)そういう熱い想いを持って活動に取り組んでくれていて、挑戦した発表への周囲からの反応によって、さらに想いが強くなったと知れたのも嬉しかったし、発表の場を持つことはメンバーにとっても大事なんだなと、改めて思いました。
──外からの視点って大事ですよね。
北島:本当にそうですね。TOM JAPANをスタートして1年目はがむしゃらに活動していたんですが、2年目からは「自己満になってないか」「社会に価値を届けられているか」という問いが出てくるようになりました。
でも100BANCHに入ってから、「Re:Spect」プロジェクトのデザイナーの下吹越さんに何度も「TOM JAPANってN=1でしょ」と言葉にしてもらったことで、「この方向で間違ってないんだ」と思えるようになりました。彼の活動分野は全然ちがいますが、プロダクトをつくっている人にそう言ってもらえると支えになりますね。TOM JAPANは、元々一人ひとりの困りごとに向き合うことを大事にしていたんですが、外から繰り返し言葉にしてもらうことで、その価値の大きさを改めて実感できたというか……。自分たちの活動の価値って、中にいると当たり前になりすぎて見えなくなってくるんですよね。外から言葉にしてもらうことで、初めて気づけることがあるんだなと思いました。
──そういった先に、北島さんが見据えているTOM JAPANの未来を教えてください。
北島:まずは法人化です。Need-Knowerを起点にプロダクトをつくる取り組みを若い世代に広めるために、ワークショップや人材育成のプログラムを本格的につくっていきたいと思っています。それに最近は、大学との共創ワークショップや共同研究もはじまっており、それらを進めるうえでも法人格は必要です。また、法人化すれば助成金も取りやすくなりますし、組織として動く上での信頼にもつながります。
その後は、全国に支部をつくっていきたいです。各地でNeed-Knowerと顔を合わせながらワークショップができる拠点を増やして、そこから生まれたプロダクトを世界に発信していく。
そしていつかは、Need-Knowerの方にきちんと謝礼を払えるような仕組みをつくりたいです。困りごとを知っているからこそ生み出せるアイデアやプロダクトが社会に届いて、それが対価につながる。そういう世界線ができたら、すごく面白いと思います。障害や弱さが社会を良くする種となり、価値になることが世の中の当たり前になる。そんな世界になったらいいなと思います。
