• リーダーインタビュー

ジェンダード・イノベーションで「未来に不平等を残さない」——「Blend」:江連千佳

「ジェンダード・イノベーション」という言葉を耳にしたことはありますか? 「ジェンダー」という言葉を聞いて、当事者として切実な関心を寄せている人もいれば、SNSでセンセーショナルに取り上げられがちな様子を見て、少し身構えてしまう人もいるかもしれません。ジェンダーに関する問題は、人によって関心度合いも異なれば、意見もまた多様であり、適切な議論ができる場が求められている話題の一つと言えるでしょう。

そんなジェンダーをめぐる問題に取り組み続けているのが、江連千佳。大学生時代に女性のウェルビーイングに着目して起業し、ソーシャルM&A®︎による事業譲渡を経て、現在は大学院で研究者として活動しています。江連が100BANCHで取り組んでいるのは、ジェンダード・イノベーションに関心のある若手研究者向けのイニシアチブ「Blend(ブレンド)」です。

「ジェンダード・イノベーション」という、まだ広くは知られていない概念に着目し、起業家、研究者としてもユニークなキャリアパスを歩みながら、「未来に何を引き継げるのか」と模索する彼女の価値観や信念に迫ります。

実は暮らしにひそむ「ジェンダード・イノベーション」とは

──江連さんは学生時代に起業して、キャリアをスタートされたんですよね。

江連:そうですね。従来の女性向け下着の課題を解決し、ショーツなしでも履ける「“おかえり”ショーツ」というリラックスウェアを開発し、販売するブランドを運営していました。ただ、元々起業したのは「女性の健康について話せる機会が少ないのでは?」といった違和感がきっかけだったんです。そうした課題意識を持っていた中で、当時お茶の水女子大学にいらっしゃった佐々木成江さん(東北大学DEI推進センター教授/ 横浜国立大学ダイバーシティ戦略推進本部客員教授)と出会い、「ジェンダード・イノベーション」という概念を知ったんです。

ジェンダード・イノベーションというのは、科学技術の研究開発においてジェンダーの視点を取り入れることで、あらゆる人にとっての包括的なイノベーションを目指すというものです。例えば医学研究ではオスの動物を使った実験が常態化していて、治験から女性が不当に排除されていた時期もありました。その結果、新薬として発売されてから、女性により多くの重大な副作用が出ることが判明し、市場から回収されることがあったんです。欧米では論文の査読プロセス、助成金の採択プロセスに入れられていることもあるのですが、日本ではまだあまり普及していません。特に性差医療という観点からは政策的にも注目されている部分はあるのですが、医学以外にも工学や情報学、建築学……様々な分野でも検討されるべき重要な視点だと考えています。

──自動車の安全性能試験でも成人男性のダミー人形が用いられることが多く、女性や高齢者など多様な方々のリスクに対応しきれていないと聞いたことがあります。いわゆる理系分野に進むのも男性のほうが多いですし、少なからずバイアスがありそうですね。

江連:ビジネスの世界ではどうしても「ニーズが高いから」とマジョリティ向けに開発されることが多いので、マイノリティのニーズが見落とされてしまいがちです。現実として、AIの学習データがマジョリティに偏っているため、画像認識で黒人の方が判別されにくいといった問題も起こっています。他にもベビーベッドが女性用トイレにしかなかったり、逆にキッチンは女性の背丈に合わせられていて、男性にとっては使いづらかったり……ジェンダード・イノベーションという概念を知って、確かにそうした視点は大切だな、と。私が起業したフェムテックとは全く発祥が違う概念ですが、課題意識が近いなと感じたんです。

──そこからBlendを立ち上げることになったのはなぜですか?

江連:これまで、お茶の水女子大学のジェンダード・イノベーション研究所を始め、日本でも普及活動をされている先生も多くいらっしゃいました。ただ、学生やこれから研究者になる人たちに対してアプローチする機会が少なかったんです。そこで先生方のこれまでの知見やお力も借りつつ、学生同士がカジュアルに話せる研究会として運営できないかという意見が出てきたんです。

ちょうど私は事業をM&Aで譲渡して、研究に専念しようと考えていたのですが、研究テーマがフェムテックで、日本ではジェンダード・イノベーションもかなり近しい概念として捉えられていることもあって、担当教官から「先行研究を調べたほうがいい」と指導されたんです。

それと並行してジェンダード・イノベーションの提唱者であるロンダ・シービンガー先生が来日するに際し、学生主体でイベントを企画することになって、他の学生や研究者たちともやり取りすることになりました。私以外にも課題意識を持った人がいると知って、この1回限りではなく継続的に活動していくことにしたのが、Blendのはじまりでした。

 

100年後の未来から逆算する「SFプロトタイピング」への転換

──100BANCHのGARAGE Programへ参加されたのは、どんなきっかけだったのですか?

江連:Blendの目的を考えると、やはり学際的に多様な方々と関わって、実践できるような環境が必要だな、と。座学ではなくワークショップですから、一緒に実践しようという気持ちがある人でなければうまく成り立たないんじゃないかと思ったんです。100BANCHには何かを実装したりプロトタイプしたりするのが得意な人が多いですし、なんとなく相性が良いんじゃないかと直感的に考えて応募しました。

入居してからは、まずは何事もトライしてみようと、ジェンダード・イノベーションに関心を持つ学生を募って、それぞれが自分たちの研究開発のアイデアを持ち寄って、自由に学び合えるような「Blend Monthly Program (現在の「Blend研究アイディアソン」)」というプログラムを発表しました。思ったよりも反響がありましたね。漠然と「5人くらい集まればいいな」と思っていたら、8名もの方にご応募いただいて。今はちょうど第2期の開催中ですが、13名の応募者がいました。はじめは私的な範囲内でやろうと思っていたのですが、これほどジェンダード・イノベーションに関心を持つ方がいて、こうした視点を取り入れたいと考える方が多いんだと知って、とても嬉しくなりました。それだけでも“希望”に思えた、というか。

第1期の最終発表会の様子。

江連:ただ、実際にプログラムを進めてみて、いろんな気づきや課題が見えてきました。特に難しかったのは、学術分野によっては、研究環境そのものがジェンダード・イノベーションを取り入れづらい状況にあることです。例えばある研究室でオスのラットを使って動物実験が行われていたとして、性差を研究するためにメスのラットを導入したい場合、すぐに飼育することは設備的にも資金的にも難しい。となると、学生の立場でできることは限られてしまいます。研究者という仕事は、業績が非常に重視される部分があるので、若手研究者としては、今取り組んでいる論文にすぐにジェンダード・イノベーションの視点を取り入れたいのに……と葛藤するわけです。

──確かに、そもそもの研究環境から変えるのは、学生にとっては難しいですね。まずは目前にある修論や博論を仕上げることが大きな目標でしょうし……。

江連:そうなると「結局教授次第じゃない?」「勉強しても意味がないのでは?」みたいな雰囲気が漂ってしまって……このままプログラムを進めても意義のあるものにならないと、ワークショップの設計から変えたり、参加者からのフィードバックをもとに軌道修正したりしていきました。

まずは最初にゴールを明確にすべきだったというか、目線合わせをするべきだったなと反省しています。若手研究者として現段階でできることは限られているかもしれないけど、もっと未来のことを考えてみようよ、と。

それと根本的なことではあるのですが、5ヶ月間で月に一度集まるプログラムだったので、年度をまたぐことになったのは大きなミスでした。新年度になると所属やスケジュールが変わって、参加できなくなってしまう人も出てきたんです。「月に一度だと、せっかく習った内容を忘れてしまう」とおっしゃる方もいました。

──実際にプログラム運営する中で、色々改善すべき点が出てきたんですね。第2期ではどのように変えていくつもりですか?

江連:現実から制約を受けてしまうなら、いっそ現実を取っ払って考えたらどうなるだろう?思って、「SFプロトタイピング」を使ってワークショップを全5回の中の1つのワークとして設計してみることにしたんです。100BANCHの実験報告会のときにナビゲーターとして登壇していたAcademimicの浅井さんから「もっとナラティブを大切にしたほうがいい。想像力を働かせて、ワクワクできるようにしたほうがいいのでは?」とフィードバックをもらって。SFプロトタイピングの先生も紹介してもらって、実験的にSFプロトタイピングを取り入れたワークショップを新たにつくりました。まだまだ反省点もありますが……。

それと夏休み期間を利用して、毎月ではなく2週に一度の間隔で、8、9月にギュッとプログラムを凝縮して、10月に発表するみたいな流れで進めています。

──SF的な思考を取り入れて、未来視点でジェンダード・イノベーションを考えるということですね。

江連:そうですね。視点を100年後に飛ばして、「ジェンダード・イノベーションが実装された未来はどうなっているのか?」と想像してみよう、と。私自身、わりと堅実に考えるところがあって、もとの事業もずっと黒字経営だったんですよ。ですからBlendでも「ジェンダード・イノベーションを実装するには?」と逆算的に、システマチックに考えてしまっていました。

でも100BANCHに来て、他のプロジェクトの方を見ていると、私たちはちょっと真面目すぎたかなと思うくらいで(笑)。「マジか!?」と思うようなことをやっている人たちもいる。でも100年後の未来を考えるなら、それくらいエクストリームなことのほうが面白いものが生まれるかもしれないな、って。100BANCHの皆さんにすごく刺激をもらったというか、いつの間にか欠けていた視点を教えてもらったなと感じています。確かに、プログラムの最初にワクワクしたほうが、モチベーションもグッと上がるでしょうし。

私自身「やってみないとわからない」って、ワクワクするんですよ。未来がどうなるかわからないときとか、わからないけど面白そうとか。SFプロトタイピングを取り入れたら、まさにそういう体験ができるんじゃないかと考えています。

 

社会を変えなければ意味がない──10代で直面した非情な現実

──そういうふうに思えるのって、元々の性格なんでしょうか? 「将来がわからないと不安」と感じる人も多いような気がします。

江連:どうなんでしょう……? どうなるかわからないけど、結果を見てみたいっていう気持ちが原動力になっているというか、そうやって突き進んでしまうところはあるかもしれません。でないとこんな(研究職と会社経営を両立する)キャリアになってないですよね(笑)。でも意外と保守的なところはあって、あまり在庫を持ちすぎず黒字経営していたのもそうですし、研究も自分なりに調べていろんな方に話を聞いて、給与をいただきながら研究できる今のポストを見つけて。最低限生活できるような方法をちゃんと確保しながら、自分の苦手なことは人に頼るようにして……やりたいことに全力を注げるような環境をつくるようにしています。そういう意味では、Blendでも他のメンバーに支えられていますね。コンセプトをつくるとか旗振り役とかは得意なんですけど、運営や細やかなフォローは苦手なので。

──そもそもご自身で創業した事業を手放す決断をされたのも、なかなかないご経験ですよね。

江連:体調を崩してしまったのは大きなきっかけではあったのですが、事業を進めていく中でどうしても見過ごせない課題が見えてきたというか、「どうして?」って考えはじめたら止まらなくなったのもきっかけでした。今研究しているのは、まさにそのときに芽生えた課題意識によるものです。

フェムテックの批判的研究について論文を書いているのですが、フェムテックを批判的な側面から論考しつつ、真に女性とマイノリティのための技術が実装される社会とはどのようなものかを追究したいと考えています。フェムテックと言っても、表層的なマーケティングとして利用されてしまっていたり、擬似科学っぽくなってしまっていたり……本当に女性のエンパワーメントにつながっているんだろうか、と。

ありがたいことにご縁あって、東京大学大学院で研究できていますが、女性で研究者としてキャリアを歩むのは難しいな、と思うこともあります。中学、高校、大学と女子校だったので、大学院の入学式で舞台にいる教授のほとんどが男性だったときは衝撃を受けました。学会でも、「なんで女性のことばっかりで男性のことは考えないんですか?」と論点からずれた質問をされたりして、困惑することもあります。

──そこでも環境的に不均衡が生じているんですね……。管理職や政治家のジェンダー比が議論に上って、「一律に数値目標で変えようとするのは本質的な課題解決にならないのでは」と言われることもありますが、意思決定に影響がないとは言い切れませんよね。

江連:自分の会社を非営利化したのも、このまま資本主義のシステムに乗っていても仕方ないのでは、という諦めがあったのも事実です。元々起業したのは、ジェンダーギャップを解消するためという明確な目的があったのですが、現実には投資家の多くが男性で、どれだけ働いて利益を出しても、男性に返すことになるのか……と思ってしまって。

資本主義の中ではスケールを目指して、投資家に還元して……というのが前提になるけど、非営利化すれば、いただいたお金をもとに次世代にジェンダーギャップを再生産していくことの予防に使うことができる。お金のために自分の信念を曲げるのではなく、本当にやりたかったことのために資本政策を変えてみよう、違う形を模索してみようと思ったのが、今のキャリアにつながっています。

──江連さんが社会課題に取り組もうと考えたのは、何かきっかけがあったのですか?

江連:ジェンダーギャップに着目したのは、高校時代にニュージーランドへ留学した経験によるものですが、そもそも「社会環境が人に暴力を振るうことがある」と自覚したのが中学のときで、そのときの体験が大きかったんですよね。

中学校は「超」がつくほどの進学校で、「偏差値の高い大学、特に東大か医学部に、とにかく進学すべき」みたいな世界だったんですけど、精神的に辛くなってしまう子もいるくらい強いプレッシャーがあったんです。それで、毎日一緒にお弁当を食べていた友人がまさにそうなってしまって……自死を選びました。

優秀でなければならない、東大に行けるように自分を追い込んで勉強しなければならない。それが完璧にできなければ生きている価値がない……そうやって人を追い込むような規範や環境が、努力家だった友人を追い詰めてしまった。その子自身の問題ではなく、環境や社会を変えなければ意味がないんだ、と実感したのは、その経験が大きかったと思います。

──それは強烈な体験ですね……。江連さんの会社のパーパスが「女性たちが心地よい眠りにつける社会”を創る」というのも、多くの女性にとって、社会がそうなっていない現実を表しているような気がします。

江連:……怒りとか、悲しみというよりは、ただ「生きていてほしい」って。みんな生きていてほしいというのが願いだし、生きていたいと思える社会をつくっていきたいという気持ちが強いですね。人によって、自分が自分でいられる環境って違うけど、心地よい状態ってなんだろうと考えたとき、私にとってはそれが「ふかふかの枕で熟睡できること」だったんです。それで会社の名前も「ピロウ」としました。

 

何が起こるかわからないけど、未来は変えられる

 

──Blendとしては今後、どのように活動していきたいとお考えですか?

江連:まずはプログラム自体を改善して、より良いものにしていきたいですね。それと10月に『サイエンスアゴラ』という一般向けのイベントに出展して、一般の方にもワークショップを体験してもらえたらと考えています。他にも少しずつ依頼をいただいているのですが、大学や民間の研究機関とも連携しながら、自分たちだけではリーチできない方々に対してもジェンダード・イノベーションの考え方を届けていきたいです。

──そうしてジェンダード・イノベーションが社会実装されていくことで、どんな未来が実現するのでしょう?

江連:表向きの答えとしては、ジェンダーの視点が入ることによって女性はもちろん、様々な人にとってのイノベーションが実現できるということではあるんですが……誠実に話すとすれば、「どうなるかわからないよね?」とも思うんです。Blendでの学びや対話がそれぞれの研究の中で活きてくると良いなとは思いますが、それだけで世界が変わるとは思っていません。 だからこそ常に、色々な人と手を取り合い、反省しながら、試行錯誤する必要があると思っています。

この考え方は、会社のビジョンにも反映しています。「科学技術によって生まれるジェンダーギャップの予防」を掲げているのですが、これは常に「ジェンダーギャップを解消するとは何か」と問い続けられるビジョンなんですよね。

「ジェンダーギャップを解消する」と会社の目標として言い切ると、事業をやる上ではどうしても数値目標や「いつまでに解決する」みたいな話を掲げる必要が出てきます。でも、1つの会社や1人の人が生きている間に達成できることってすごく少ないので、その数値目標が達成されたからといってすべてのジェンダーギャップが解消されるわけではありません。例えば、管理職や政治家に女性が増えることはジェンダーギャップの解消に貢献することはありますが、それだけですべての女性の課題が解決できるわけではありません。ピロウという会社は、1つの課題を直線的に解決することを目指しているというよりは、実践しながらも常に問い続ける人たちが集まる場所でありたい。だからこそ、私は「未来にどんなバトンを渡すのか」という視点でビジョンを描いています。

──まずは具体事例を知ることで、認識が変わる人もいるでしょうしね。

江連:そういえば嬉しかったのが、Blendの1期生で、100BANCHのBio-shieldプロジェクトのメンバーでもある山本さんが「あるアート作品を観たことで、自分のプロダクトにジェンダーの視点を取り入れようと思った」と話していたのですが、まさにそのアート作品って、以前私がつくったものだったんです。私が関わっているとは知らずに、Blendに参加しようと思ってくれたみたいで。

そんなふうに、今やっていることが何につながるか、何が生まれるかはわからないけど、10年後、20年後くらいに何か起こればいいな、って。日々ニュースをみていると、自分が生きている間に実現できるとは到底思えないくらい、あまりにも社会は変わらないな、と思ってしまうこともあるんです。でも今、法律上は性別によって差別されずに働けるようになったこと、選挙に行けるようになったこと……先人たちから受け継いできたことがたくさんある。だから、私たちも次の未来に何を引き継いでいくのか、常に考えながら活動していきたいですね。

 

(取材・執筆:大矢幸世 / 撮影:小野 瑞希)

 

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