• リーダーインタビュー

幾多の試練を乗り越え、いつか宇宙へ飛び立ちたい。——「ARES Project」:阿依ダニシ

「日の丸マーク」が入った黒いジャケットを羽織って現れたのは、「ARES Project」の阿依ダニシ。使い込まれた様子のそのジャケットは「大会に着ていくために作った」チームのユニフォームなのだといいます。

その大会とは火星探査機ローバーの開発を競う学生世界大会「University Rover Challenge (URC)」。彼が代表を務める「ARES Project」は日本人チームとして初めてとなるURCへの出場をめざしています。ギリシャ神話の闘いの神の名も込められた「ARES」の通り、幾度もの失敗を乗り越えて、果敢に挑戦し続けてきました。そこには、どんな困難があっても諦めない、宇宙に魅せられた阿依の熱い想いがありました。来年6月のURCの出場に向けて、さらなるチャレンジへ向かう熱源を探ります。

「宇宙すげー!!なんだこれは!!」未知の分野に惹きつけられた幼少期

——「ARES Project」は火星探査機ローバーを開発し、学生世界大会「University Rover Challenge (URC)」を目指しているんですよね。最初に阿依さんが宇宙への憧れを持ったのはいつだったのでしょうか?

阿依:小学校のときに、宇宙飛行士の若田さんが名誉館長を務めるさいたま市の青少年宇宙科学館に行ったんです。展示を見て、「宇宙すげー!!なんだこれは!!」と衝撃が走りました。それまで「地球は丸い」くらいしか宇宙に関する知識はなかったんです。そこではじめて、宇宙開発やロボット開発を知りました。

父は鉱物の研究者だったので、僕は、小さな頃から鉱物採集や学会に連れて行ってもらっていました。だから「いつか研究者になりたい」と憧れていたんです。だけど、宇宙はこれまで持っていた研究のイメージを塗り替える「未知の分野」だと思ったんです。宇宙という普段僕が暮らす世界から離れた場所が存在していて、簡単にはいけないその場所を目指す人がいる。僕もいつか行ってみたい。そのときから、僕は宇宙飛行士を目指すことを決めたんです。

——宇宙飛行士の若田さんの道のりを追いかけようと、まずは近所にあった若田さんの出身高校を受験したとか。

阿依:残念ながら、結果は不合格でした。それでもくじけずに、高校に行きながら、どんな宇宙飛行士になりたいかを考えたんです。ものづくりの関心を活かして、ロボット開発の技術力を身につければ、今後火星や月の開発に役に立つ宇宙飛行士になれるかもしれない。大学ではロボット開発を学びながら、宇宙飛行士を目指す学部に入ろうと、道が固まりました。でも、大学受験も第一志望の学校に受からなかったんです。

結局合格して入学したのは、宇宙系の学部ではなく、理工系のナノサイエンスの学科。もうダメかなと一瞬落ち込みました。それでも、やっぱり宇宙飛行士になることを諦めきれなかった。大学が学部の垣根があまりない自由な校風だったことも幸いして、僕は当時NASAも着手していた火星探査ヘリコプターの開発をドローン技術を持つ知人と一緒にはじめました。火星のミッションを想定して、2輪式の探査機を落としたり、ドローンの方式を変えるアイデアを出したり。研究が認められて、財団から助成金をいただいたり、大学の支援制度を使って学会に出させてもらったんです。

 

日本初!火星探査機ローバーの学生世界大会へ!

——火星探査ヘリコプターを開発していた阿依さんが、火星探査機ローバーを作るURCに挑戦したのはどんなきっかけがあったんでしょうか?

阿依:大学の4年生の頃、研究のためにリサーチしていたら、学生が火星探査機ローバーを作り、技術を競い合う大会がアメリカ(URC)とヨーロッパ(ERC)で開かれていることを知りました。しかも、僕が調べた限りだと、これまで日本から出場したチームや挑戦したチームはない。「なんでないんだ!僕が挑戦したい!」と思ったんです。でも、そのときは火星探査ヘリコプターの研究もあるし、これから人を集めて参加するのは難しいと一度はあきらめたんです。

——なるほど。

阿依:その数ヶ月後、アイデアを出して2ヶ月間で形にする「100 Program」というものづくりプログラムに参加しました。アイデアを話すチャットで、「火星探査って難しいんだよ」と投稿をしたんです。投稿に関心を持ってくれた学生がいました。ロケットサークルの副代表を務めていた学生と、ロボコンの世界大会に出た学生、のちに「ARES Project」の創立メンバーになる2人です。

技術を持つ彼らとアイデアを一緒に話していたら、一度諦めたURCに挑戦できるかもしれないと思いました。「プログラム期間の2ヶ月間、大会に出る前提で火星探査機ローバーを開発してみないか?」と提案したんです。2人とも二つ返事で納得してくれました。そこから、僕の大学の寮に集まり、爆速でローバーを作り上げたのが、「ARES Project」の初号機です。

でも、急いで作ったので、機体はがたがた。6輪がついているのに、スタビライザーという支えがないと立てないぼろぼろの状態だったんです。「100Program」には、色々な賞があるんですけど、どの賞にも該当しませんでした。

——そのあと初号機を改良して、すぐに2号機を作ったんですよね。

阿依:ちゃんとしたローバーがつくれなかったことが、悔しかったんですよ。あと、初号機を作ってみて、面白そうだから大会を目指してみたい気持ちも出てきました。開発資金を得るためにスポンサーになってくれそうな人に話にいくこともはじめました。メンバーと一緒なら、いい開発ができる。少しずつ普段とは離れたプロジェクトが動いてきていると、手ごたえを感じていました。

しかし、2号機を製作した後に、またも大きな問題が。念願の宇宙開発の大学院に進学した僕は、入学してすぐに「国際宇宙大学」という留学プログラムに参加するチャンスを得て、2ヶ月間海外に留学に行くことになったんです。

宇宙について色んな国の学生が集まり学ぶプログラムで、朝の8時から夜まで授業で、課題やチームプロジェクトで寝る間もないほど忙しい。国際色豊かなメンバーで仕事の進め方も異なり、「国際協力とは?」と身をもって考える時間でした。僕はそちらが忙しく、2ヶ月ほど、「ARES Project」はほぼ放置状態だったんです。

——せっかくプロジェクトが盛り上がってきたところなのに……

阿依:またプロジェクトをダメにしてしまったのかもしれないな。そう思って、落ち込んで日本に帰ってきたんです。そうしたら、なんと、創立メンバーの2人が学生を集めて、20人の団体にしてくれていたんです。しかも、大会で「サイエンスミッション」という、サンプルを採取して、生き物がいるか検査する知識と技術を持つ学生を集めてくれていて、チームがパワーアップしていたんです。「何もしなかったら僕はただのビッグボスだ。」そう思い、団体の運営を整えて、チームで本格的に大会に挑戦していく環境づくりをはじめる覚悟が決まりました。

 

5号機が「ハの字」に損壊するもポーランド行きの切符を獲得

——その後、ロボット系の展示会「フェスタ福島」に出展するために3号機、2023年2月にビックサイト「国際宇宙産業展」に出展するために4号機と、すごいスピードで機体の改良を重ねていきましたね。

阿依:速さは、僕たちの唯一の強みだと思います。どんどん作り、改良して進んできたんです。5号機は、国際宇宙産業展に出展したときにオファーをいただいた、鳥取に新設された月面実証のフィールド「ルナテラス」の2023年7月のオープニング走行のために製作しました。

その頃、僕たちが目指しているURCも6月に迫っていました。しかし、技術的に6月のURCの出場は間に合わない。でも、9月のERCなら、出場できるかもしれない。ルナテラスで走行して調整しつつ、審査書に書いて、ERCに応募しようと思ったんです。しかし、ここでも失敗がありました。5号機は、機体を大型化したので重量が増えてバランスが崩れてしまったんです。ルナテラスで、一応走行はしてくれたんですけど、ローバーが重さで沈んで「ハの字」のまま走っちゃったんですよ(笑)結果を審査書に書いて出したんですが、残念ながらERCも落選。

でも、落ち込んでいたら、大会のポーランドから特別招待が届きました。「君たちの活動は面白い」と、関心を持ってくださったんです。支援いただいて、世界レベルの火星探査機ローバーをこの目で見てきました。出場はできなかったけれど、ちょっと報われましたね。

——開発はどのように行っているのですか?

阿依:僕たちは、東北の大学と東京の大学の学生の集まりなので、開発は分業体制なんです。東北では機体を、東京ではアームを開発しています。東北のメンバーは、僕の大学に拠点があるんですけど、東京の拠点がなかなか見つからない。開発に専念する場所が欲しいと思い、100BANCHのGARAGE Programに応募しました。採択してもらって、3号機の開発に取り組んでいた頃から、作業もミーティングも100BANCH。色んな大学の学生が渋谷に集まって、追い込み時期には徹夜もして開発作業をしました。

——100BANCHで、徹夜で開発していたんですね。

阿依:僕は東北にいたので動画で見たんですけど、支援でいただいたエナジードリンクの缶が大量に散らかったテーブルの上で、躯体が完成して「やった!」と喜んだあとに、燃えてしまったことがありました。あまりにも「エンジニアらしい」そのシーンが一番印象に残っています。

この場所が無かったら、僕たちは活動ができていない。まさに、ホームだと思います。今後も100BANCHを開発拠点として使わせていただこうと思っています。

 

困難を乗り越えることが「宇宙開発」

——「ARES Project」は、これからどんな活動をしていくんでしょうか?

阿依:ルナテラスの後に機体を改良して、「ARES」は現在6号機です。ようやく大会で戦える機体になってきました。まだまだアームや、搭載しなきゃいけないモジュールもあるんですけど、調整すれば、3月締切りのURCの審査書に間に合う段階まできました。とうとう、念願のURC出場に手が届く場所まできているんです。去年は落選したのですが、すでに3段階の審査の1回目はパス。残りの審査に向けて、合宿や展示会で最終調整をして、今年はURCとERCに出場したい。でも、その先はまだメンバーと話し合ってない。大会に出れたら大きな進展ですけれど、僕の夢は、実際に宇宙開発に関わる宇宙飛行士になることなんです。

——宇宙飛行士は、非常に狭き門ですよね。それでも、挑戦し続けるんですね。

阿依:これまで、うまくいかなかったことも沢山あったんです。受験も第一志望には受からなかったし、プロジェクトもメンバーをまとめることが大変。開発も、作って改良しての繰り返し。でもその難しさに挑戦していくこと自体が、宇宙開発であると捉えているんです。挑戦して、うまくいかないけど、さらに挑戦し続ける。

はやぶさや宇宙飛行士の探査ミッションも、とんでもない困難をドラマのように乗り越えてきたんです。僕も色んな試練に打ち勝つことができなかったら、宇宙を目指す器ではないことになってしまう。だから、諦めない。今うまくいかなくても、諦めなければ何かに繋がる。その気持ちは、どんどん強くなってきています。

21歳の大学生のときに宇宙飛行士の試験を受けました。5年間の実務経験が必要だったんですが、火星ヘリコプターの開発を実務経験と言い張って、試験を受けることができました。次の試験は、数年後と言われています。ちょうど僕が、博士課程を終えるころです。宇宙を目指して、諦めず試練を越え続ければ、道はひらける。そう信じて、挑戦を続けたいと思っています。

 

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