EVENT REPORT

2019.08.26 Mon

渋谷南わたしのキャリアデザイン部
第2回 やりたい!から道をつくる ヘラルボニー代表 松田崇弥

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[ 渋南わたしのキャリアデザイン部 ]シリーズ第2回目は100BANCHで行われました。

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仕事だけではなく、学んでいる事、結婚、家族、趣味など人生を歩んできた経歴そのものを「キャリア(道)」と捉え、”自分にとってやりたいこと”を道にしているゲストと一緒に、自分の人生を考えてみよう!という内容です。

出席者は高校生から60代の方まで、幅広い年代の方々が参加する回となりました。

今回は【福祉×起業】の分野で活躍のゲストを迎え、前回に引き続き参加者にSli.doの説明をしながら、「今日はなぜこの授業に参加したのか」を思い思いにSli.doに投稿してもらいつつ和やかな雰囲気で授業がスタートしました。授業コーディネーターは、青木優莉さんです。

ゲストは株式会社ヘラルボニーの代表である松田崇弥さん。
松田さんは、学生時代に小山薫堂ゼミ(くまモンの生みの親)で学び、その後広告代理店で会社員になったそうです。会社員生活の傍、副業で知的障害のある方々のアートをプロダクト化するブランド『MUKU』を発足。
昨年7月からは会社員生活を止め、福祉を軸に事業を展開する福祉実験ユニット「ヘラルボニー」を双子の兄弟で立ち上げました。双子の文登さん(副社長)は岩手県で、弟である崇弥さん(社長)は東京で活動をしていらっしゃいます。
「ヘラルボニー」は福祉を軸にしていますが、ソーシャルワーカーなどの現場経験がある社員はいないものの、福祉と接点がある人材ばかりだそうです。

松田さんと福祉との繋がりは、4歳年上のお兄さんが知的障害があること。
昔からお兄さんについて「かわいそう」と言われることに疑問があったといいます。
母親が自閉症協会等で活動を精力的にしていた環境にもあり、双子の兄弟共に障害のある方々を身近に感じて育ったそうです。

「ヘラルボニー」という社名は一番上のお兄さんが7才の時に自由帳に書き記していた謎の言葉で、意味はいまだにわからないそう。そんなお兄さんのような、知的障害のある人たちの独特の面白さを知って欲しいと松田さんは語ります。知的障害のある3名のクリエイターの作風や人柄を暖かくユーモアを交えて語る松田さんに、会場は何度も笑いに包まれていました。

現在は渋谷の開発地区における建設現場で仮囲いにアート作品を掲出するプロジェクトを企画していたり、企業にアート作品のファブリックやスツールを納品したりと活動の幅を広げています。
ブランド『MUKU』ではアート作品をネクタイやソックスにして日本のみならず世界でも展開しています。

『MUKU』を立ち上げたきっかけのひとつに、自閉症の方が長時間かけて作った作品が500円で売られていた場面を見て、悔しくて徹底的に高品質のものを作れば必ずちゃんとした値段で売れると思いトライしたと言います。
「本格的に美術を学んでいる人たちと肩を並べ勝負していく中で美術作品として高いクオリティであることは大前提。沢山の作品の中から、なぜ障害のある人のアート作品を企業が使うのか?を、プロモーションまでを含めてデザインするのは僕たちの仕事。
作品のストーリーも含めて知的障害の人のアートをきちんとした対価で売る。それを福祉施設にバックする。それをやっていきたい」

インタラクティブトーク

ここから会場のレイアウトを変え、みんなで大きな輪になりました。

「会場にマイクを回すので聞いてみたいことがあったら質問してみてください」という青木さんの言葉をきっかけに、参加した生徒さんから声があがりました。中には、同じように障害のある方が家族や親戚にいるという話や、やりたいことを見つけたいと切実に望む声も。松田さんの熱量に押されるようにたくさんの思いが投げかけられる場に、みなさん真剣に向き合います。

(以下敬称略、対話形式)

青木:もともと起業するイメージはあったんでしょうか?
松田:全然なかったですね。福祉という業界でやりたいというのは昔からありましたが、あくまで選択肢としての起業だと思っていました。

青木:最初のキャリアとして、どうして福祉分野ではなくデザインの企画になったのでしょう?
松田:もともと、絵を描くのが好きだったんです。大学を選ぶときに、小山薫堂さんが教鞭をとる企画構想学部に出会いました。デザイナーやカメラマンを束ねるのは「企画」で、「企画」は強い力があるものなんだ!と思って美術系の大学ではなく企画構想学部への進学を決めました。小山薫堂さんから在学中に声をかけていただき、働くことになりました。

青木:新卒で企画の会社へ進むことに、迷いはなかったのでしょうか?
松田:迷いはなかったですね。

青木:それでも、いつかは福祉の業界でやってみようと思っていたんですか?
松田:思っていましたね。30歳までのタイミングでキャリアチェンジしたいと考えていました。

青木:MUKUを副業として始めたきっかけはどんなことでしたか?
松田:がむしゃらに1年目は働いていたんです。会社で何もできない自分にもどかしさを感じていた。会社で認めてもらえないなら、社外で認めてもらいその評価を会社に逆輸入しよう!と考え、広告コンペに出しまくったんですね。

青木:そもそも、MUKUをやろうぜってなったきっかけは、どんなことでしたか?
松田:母親の勧めで行ってみた、岩手県のるんびにい美術館※が素晴らしかったから。福祉の業界の中では、るんびにい美術館が有名にも関わらず、全然知られていなかった。
知的障害のある人の作品が、そういったリテラシーが高い人に届くのは当たり前。でも田舎のヤンキーにまで届くプロダクトを作りたかった。MUKUで最初に作ったのは銀座田屋とコラボレーションしたネクタイだった。
※障害のある方のアート作品を展示する美術館

青木:副業の難しさはどうでしたか?楽しさ、苦しさ、あったのではないかと・・・
松田:ブランドが立ち上がる1年間までは、信頼できるデザイナーや友達に声をかけまくっていました。毎週水曜日の朝6時にスカイプ会議を2時間行ったあと、出勤する生活を続けていましたね。

青木:そんな副業生活はどうでしたか?楽しかった?
松田:楽しい!しかないですね。自分はこういうことがやりたかったのかという確認作業だったと思います。一攫千金というよりは、社会に発表するということがチームとしての共通認識だった。起業して売上(数字)を迫られるようになってから難しさを感じるようになりました。

青木:起業する道を信じられなくなる瞬間はありましたか?
松田:ありました。最初の3ヶ月は自社サービスを作り込むために、毎月の貯金が減っていって不安だったんです。株式会社で障害のある方のアートを生業にすることはキャッチーだったので、講演会は多いが仕事に繋がらない。そんな中、奥さんからのアドバイスがありExcel表に仕事や出会った人を資産化してみたら、これならやっていけると思えたんです。それから不安はなくなった。

青木:なるほど、そうだったんですね。どういうときにこの道を選んで良かったと思いますか?
松田:仮囲いプロジェクトのNHK取材でも聞かれたが、福祉施設の職員さんや親御さんは共感してくれる人が多い。(障害のある)本人が一体どう思っているかということをつきつめるのは難しい作業。作ったネクタイを見せても、本人が喜ばない時もある。
自分が社会に貢献したくても、本人にとっては無意味なんじゃないかという葛藤はあります。だからこそ、本人が喜んでくれるとすごく嬉しいし、テンションがあがりますね。

青木:会場にマイクを回すので聞いてみたいことがあったら質問してみてください。

松田さんのお話で印象に残ったのが「(障害のある)本人が、どう思っているのか?」という事を大切にされていて、相手との対話をし続けていきたいというあたたかな姿勢でした。
障害のある人とそうでない人との間の「対話」を諦めない、その姿勢は多様性化している社会ではとても大切なことだと思います。「わからないから、わかるまで対話する」
人と人との間に断絶を作らないため私たちがすぐにでも実践できるシンプルな方法です。

そんな人柄の松田さんだからこそ、「面白そう!やりたい!」という思いに周りの人たちが手を貸してくれるという相乗効果や好循環があるんだと思います。そのあたたかなエネルギーの循環は会場にも現れて、キャリアチェンジに慎重になっている参加者同士で励まし合っている様子も見られました。

今回の授業に参加する前は、恥ずかしながら私は知的障害のある方々を少し怖いと思っていました…。相手の気持ちがわからなくて怖かったのだと思います。
相手のことを考え良かれと思ってやっていることも、実はそれを受けとめている相手の気持ちなど一度も聞いたことがありませんでした。「わからないからこそ、話す」そんな単純なことを見落としていた自分に気がつかされた授業でした。まずは自分の大切な人と「対話」してみることから始めてみませんか。

<レポート:内山千晶>

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