未来は不動産ならぬ“可動産”にあり。 「動く家」バスハウスで、新たな未来を創造
- イベントレポート
若者を熱くさせる背景は——— 「 これからのコミュニティ」
長谷部渋谷区長をゲストに迎え、これからのコミュニティのあり方を探るイベントが、ナナナナ祭初日の7月1日に開催されました。
「『誰と生きていきたいか』、『自分にとって心地良いのはどのような環境か』を再考し、最終的に参加者それぞれの幸せの形を見つめ直す時間を提供したい。」
コミュニティをつくる人びと
第一部が幕を開け、日々コミュニティづくりに取り組む5名が登壇。まずはそれぞれの活動にフォーカスしていきます。
渋谷区|長谷部区長
原宿生まれ、原宿育ち。(株)博報堂退職後、ゴミ問題に関するNPO法人greenbirdを設立したほか、NPO法人シブヤ大学、NPO法人ピープルデザイン研究所の創設にも携わる。2003年に渋谷区議会議員に初当選。以降、3期連続トップ当選を果たす。2015年4⽉27日、渋谷区長に就任。生まれ育った大好きな街、渋谷区のために汗をかく。
「渋谷には地元民のほか、遊びに来る人や、働きに来る人も多い。その全ての人々がステイクホルダー。多様な人々が集まる渋谷を今後も盛り上げていきたいです。」
——渋谷区長として、どのようにコミュニティを考えていますか。
長谷部区長「地域コミュニティは強くあってほしいですね。みんなが繋がっていることで、行政の手の届かない部分もカバーできる可能性があります。
例えば、待機児童の問題。気心が知れた近隣住民に、ちょっと子供を見てもらえるように頼むことができれば、改善するかもしれない。極力税金を使わずに、生活が豊かになるのが理想的です。
渋谷区はこれから、テクノロジーと地域コミュニティが融合した『最先端の田舎暮らし』をテーマに、地域のコミュニティのあり方を追求していく予定です。
具体的な活動としては、ラジオを活用したり、ふだん話す機会の少ない近隣の人と顔見知りになることを目的とした『お隣サンデー』、講演会などでバーベーキューを開催したりと様々です。今後もこのような地域コミュニティの強化を図る機会を作りたいと思っています。」
——渋谷区の理想の形を教えてください。
長谷部区長「やりたい人がやりたいことをできる街ですね。区の基本構想と紐付いていれば、一緒に事業化できることもあります。どんどん熱いアイデアをぶつけてください!」
yadokari|柴田大輔
幼少の頃から、家族・学校・社会のコミュニティに疑問を抱く。鎌倉を拠点にシェアハウスやゲストハウスを運営。また、カフェ・バル・家具屋に関わりながら、街のコミュニティーづくりを実践する。2017年4月よりBETTARA STAND日本橋のコミュニティービルダーになり、映画上映・まちづくり・地域と連携した飲食のイベントなど年間200本以上の運営・企画を行う。2018年5月よりTinys Yokohama Hinodecho のコミュニティビルダーとなる。
「最初に言っておきますが、コミュニティのあり方に答えはありません。」
——年間200本以上のイベントを開催されているということですが、コミュニティ運営は楽しいですか。
柴田「イベント自体は楽しもうと思っていないですね。毎日企画書を書いて、『(イベントを)成功させなければならない』というプレッシャーを楽しんでいます。」
東京銭湯|後藤大輔
「Tokyosento Inc.」取締役番頭。「Tokyosento Inc.」の経営する銭湯『喜楽湯』のマネージャー及び東京銭湯全体の会社運営を行う。新卒でNTTデータに入社。火消し役として数々のプロジェクトに参画し完遂。退社後は「Tokyosento Inc.」での活動だけでなく、フリーランスとしてベンチャー企業のPMO、学生支援PJのファシリテーター、SDGsの推進など。銭湯では「温冷浴」というお湯と水風呂を交互に入る入浴スタイル。
「フリーランスの企業コンサルタントとしても活動しています。」
——銭湯というコミュニティにはどんな人が集まるのでしょうか。
後藤「今はほとんど各家にお風呂があって、入浴に困らない状況です。それでも、『知らないところに行ってみたい』、『変わった人に会いたい』など、何か新しいことに出会いたいという要望がある人が中心ですね。」
BUSHOUSE|青木大和
1994年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科在学中。2012年に若者と政治を繋ぐ活動を開始。その後、法人化し、18歳選挙権実現の立役者となる。その後若い世代の夢を描き、誰しもが表現できる場を創るために 2016年にアオイエを立ち上げる。2017年に法人化し、代表に就任。コミュニティを再定義し、価値観を変え、思想を変え、生き方を変えることを目指す。
「人類の歴史をみると狩猟移動型の時代が圧倒的に長かったものの、今は完全に農耕定住型。働き方改革が謳われ、拠点に関係なく仕事をできる人が増える中で、狩猟移動型の生活を再生させたいです。」
——ものすごく新しい考え方ですね。みんな移動して暮らせば良いと。
青木「みんなではなく、週末だけ使う人、フルタイムでバスに住む人、色々なパターンがあって良いと思っています。組み合わせで多様性が生まれる時代なので。カスタマイズの一要素としてこの方法の提案をしたいです。」
——そのアイデアに行き着いたきっかけを教えてください。
青木「アメリカから帰国後、18歳選挙権の実現に向けた政治系の活動をしていました。でも、一つのコミュニティに縛られていると窮屈で。その経験を踏まえて、特定のものに縛られる必要はないのでは?生きづらくなったら移動すれば良いのでは?と思うようになりました。」
biotope|松島宏佑(モデレーター)
宮城県白石市出身。物理学科卒業後、島根県にある人口 2400人の島、海士町に移住。田舎ベンチャー企業にて新規事業開発に従事した後、東日本大震災で地元の宮城へ。コミュニティー支援や人材育成事業を行うNPOを設立。その後、東京の組織コンサルティングファームで活動し、宮城と東京の二拠点居住を経て、戦略デザインファーム biotope に参画。表の顔として企業向けのビジョンデザイン支援を行いつつ、裏の顔として詩を書き続ける日々。
「田舎出身で、もともとコミュニティ自体嫌いだったのですが、今はコミュニティを作る仕事をしています。」
モデレーター松島「長谷部区長と後藤さんは地に根ざしているコミュニティ、柴田さんと青木さんは根のない全く新しいコミュニティを創出しており、それぞれ相反したコミュニティのつくり方で面白いですね。」
コミュニティの変遷と展望
ここで、日本におけるコミュニティの変遷を振り返ってみましょう。
もともとは村社会だった日本。誰がコミュニティに属しているのかを構成員全員が把握しており、強い繋がりとしがらみが表裏一体の状態で存在していました。
そののち、出稼ぎのため都市への人口大移動が発生します。結果、人々は家族・会社以外に居場所がない状態に。
1990年代、インターネットが誕生します。続いてSNSが生まれ、それまで関係のなかった個と個が弱く繋がるようになりました。
それから、人々は「安心としがらみ」、そして「自由と不安」のセットを振り子のように行き来するように。
以上を踏まえた上で、
- 誰と何でどのようにつながっていたいのか?
- どんなライフスタイルを目指していきたいのか?
以上の2つの観点で参加者と共に議論を進め、「これからのコミュニティとは何か」を浮き彫りにしていくことを目指します。
トークセッション:参加者の疑問に答える
ここから、会場の参加者が本格的に参加!実際に登壇者に質問を投げかけます。
——新しい人が入ってきてもコミュニティの熱量を維持させるために、どんな取り組みをしていますか。
柴田「とにかく活動を継続することが大事ですね。あとは新しい人のやりたいことを実現できるよう、ヒアリングしたりフォーマットを用意したりしています。」
——コミュニティが抱えることのできる最大人数は何人でしょうか。
大和「構成員全員が当事者意識をもてるのは、200-500人程度だと思っています。古代ギリシアでのアテネの民会がそれくらいの規模だったというのが根拠です。200人以下だと、自分は息苦しいと感じますね。」
——地方は若者が少なく、コミュニティを作るのが難しいです。どうすれば良いでしょうか。
後藤「もしかしたら、『若者のみ』というフレームが間違っているのかもしれません。まずは制限を撤廃して、とにかくコミュニティを作ってみるのが良いと思います。あとは、隣町に範囲を広げてみるなどの工夫はできそうですね。」
柴田「全く知り合いがいない街で継続してイベントを開催していますが、地元の人と知り合うには飲み会で話すのが一番良いです。居酒屋でおじいちゃんに好きなお酒を聞くと、すぐに仲良くなれます。」
あなたにとってのこれからのコミュニティ
第一部の最後に、登壇者にとっての「これからのコミュニティ」を聞いていきます。
——どんなライフスタイル、人と人との関係性を描いていきたいか。
後藤「フリーランスとしても活動しているので、現在は曜日単位で属性が変化している状態です。今後は先生、夜はコンサルタントなど、もっと時間単位で属性を細分化していくと人との関係性もより面白くなるかも、と思っています。」
——どのようにコミュニティに関わっていきたいか。
柴田「所属するコミュニティは決めようと思いませんが、将来は起業して、NPOや家族を作りたいと思っています。子育ては周囲と協力してやりたいですね。」
大和「当分はバスをメインの住居にして暮らしたいです。季節を問わず、好きなところで生きていきたい。場所とは別にライフステージという軸で考えると、年齢が上がるにつれて定住寄りのスタイルを取らざるを得なくなるかもしれません。その場合は、複数世帯でシェアハウスしたいです。交代制で子どもたちの面倒みて、当番でない夫婦はデートに行ったりできたら良くないですか?そうやって、常にライフスタイルの幅を広げていきたいですね。」
登壇者だけでなく、トークセッションを踏まえて参加者の皆さんにも「これからのコミュニティ」への想いを書いていただきました。
- 「場所にとらわれず、隣にいなくても一緒だと感じられる家族としてのコミュニティ」
- 「シェアできる教育コミュニティ。いろんな人生を歩んでいる人たちから学問を学べる場所」
- 「セーフティネット。休みたいとき、疲れたときに逃げられる場所」
- 「世代に縛られずに、相互に助け合えるコミュニティ」
- 「人生の遊び場所」
- 「地元にいなくても地元に貢献できるコミュニティ」
- 「子育てをする夫婦同士が助け合えるコミュニティ」
第二部:コミュニティを横から見る
月一で定例会「OFF呂会」を開催し、銭湯に来る人同士が集える場所作りを怠らない東京銭湯。
第二部は、そんな東京銭湯が運営する「喜楽湯」の常連15人が登壇し、自身が属するコミュニティの実態を語ります。
後藤「コミュニティとは自分が属すものを指すことがほとんどで、他人のコミュニティを見つめる機会はあまりないですよね。銭湯という文脈から生まれたコミュニティを横から見る実験をしたいです。」
【東京銭湯とは?】
日本が誇る文化のひとつ、銭湯。かつては公衆衛生に大きく寄与したのはもちろん、地域コミュニティのハブとしての重要な機能も果たしてきた存在ですが、現在は週に1軒のペースで廃業していると言われるほどの衰退期にあります。しかし、これまで銭湯が果たしてきた文化的な役割をきちんとデザインし直し、アップデートすることで、実は未来へのヒントに満ちたものになるかもしれない。そう考えて3年前にウェブメディア「東京銭湯 – TOKYO SENTO -」を立ち上げ、銭湯文化をさまざまな形で発信してきました。今回、100BANCHに参加することで、さまざまな文化リソースを持った人々との“混浴”的な状況に身を置きつつ、メディアとしてのさらなる価値の向上を目指します。
撮影|延原優樹
【お知らせ】
銭湯のある暮らしのための物件サイト「東京銭湯 ふ動産」が7月11日にリリースされました。銭湯近くの物件を簡単に探すことができます。
銭湯の周りに銭湯好きが暮らすようになり、喜楽湯ファミリーのようなコミュニティが各地にできるかも?
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