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火星探査機の学生世界大会に挑み、日本の宇宙開発の底上げに貢献する:永原陵司(ARES Project東京班代表)

「日本には、火星探査機をつくる学生団体がない。だったら、僕たちがつくっちゃおう」
そんな軽やかなきっかけで、学生による火星探査機開発チーム「ARES Project」が立ち上がりました。

永原は2023年5月に100BANCHに入居。ロボットアームや生命分析装置を搭載し、自律走行、遠隔制御で走行する火星探査機の開発に取り組み、火星探査機の学生世界大会 “University Rover Challenge (URC)”への出場を目指しました。度重なる改良や実証実験を経て、2024年にURCに悲願の日本初出場を果たし、続く2025年にも連続出場。2026年は上位に食い込む活躍を見せ、現在は優勝を目指してアップデートを続けています。

そんな永原が、URCの出場報告、これからの展望などを語りました。

永原陵司|ARES Project 東京班代表

​​​​​​​2002年 東京都生まれ、小さい頃から物作りが好きで小学4年生の頃からロボット教室に通い始め本格的にロボットづくりを始める。高校1,2年次に国際標準オリンピック2年連続日本代表に選ばれ、世界の壁を学ぶ。また、高校2年次にFIRST Global Challenge 日本代表チームリーダーを務め、196カ国の国とロボット競技で競い合った。小さい頃に出会ったアニメ「宇宙兄弟」をきっかけに宇宙工学を目指し、慶應義塾大学にAO入試で合格。入学後、プロジェクトリーダーである阿依との出会いをきっかけにARES Projectを立ち上げ、本格的にローバー開発に励む。将来は、自分の作った探査機を宇宙で動かしたいと考えている。

永原:「ARES Project」の永原陵司です。幼い頃からものづくりが好きで、小学生の頃からロボットづくりに親しみ、高校時代にはロボット競技の日本代表として世界大会にも出場しました。大学では、小さい頃から憧れていた火星探査機の開発に挑戦したいと思い、慶應義塾大学へ進学しました。

「ARES Project」のはじまりとなったのは、2022年に参加した東京大学の「100 Program」というものづくりイベントです。「5万円の支援金で、3人1組で好きなものをつくる」というハッカソン形式のイベントで、そこでたまたま出会った3人が「火星探査機、つくりたくない!?」と意気投合しました。

当初はこんなに大きな団体になるとは思っていませんでした。「3ヶ月で火星探査機をつくってみよう!」という半分ノリのような挑戦から、僕たちARES Projectはスタートしたんです。

 

火星探査機で「日本初」を目指す

——「ノリではじまった」という永原たちの火星探査機づくりは1回きりでは終わらなかったといいます。

永原:そこからだんだんと本格的に動き出して、形だけは本当に火星探査機がつくれてしまったんです。もちろん、自立はできないし、手を離すと箱がパカっと落ちてしまうようなものだったのですが、当初の目標どおり、3ヶ月という期間で、支援金の5万円以内でつくることができました。そこでメンバー3人全員が自信を持って、「3ヶ月でできたんだから、もっとできるでしょ!」と、どんどん活動を大きくしていくことになりました。

ハードウェア開発にはやはり拠点が必要だとなり、見つけたのが100BANCHでした。100BANCHに入居した後は、僕は東京、リーダーは大学院進学で東北、もう一人は元々東北にいたので、東京と東北の2拠点で開発を進めることになりました。

——そして永原たちは目標として、世界最高峰の火星探査機競技「University Rover Challenge(URC)」を目指すことになります。

永原:「University Rover Challenge(URC)」は、アメリカ・ユタ州で開催される学生の火星探査機世界大会で、毎年10カ国以上・100チーム以上が参加しています。しかし、20年以上の歴史があるにもかかわらず、日本から出場したチームは1つもありませんでした。そこで僕たちは、日本初出場を目標に活動をスタートしました。僕が慶應義塾大学に入ったのも、探査機をつくれる宇宙ロボティクスの研究室があったからです。ロボットやロケットのサークルはこれまでもありましたが、ローバー(火星探査機)は開発規模も大きく、お金もかかるので、日本には取り組む学生団体がありませんでした。「だったら、僕たちがつくっちゃおう」と。僕が卒業するまでの4年間で、URC日本初出場を実現することを目標にしていました。

永原:URCでは、火星探査を想定した4つのミッションに挑みます。自律走行やロボットアームを使った精密作業、広大なエリアでの探索、生命の痕跡を探してプレゼンテーションを行うサイエンスミッションなど、機械・ソフトウェア・通信・科学まで、幅広い技術が求められる大会で、書類審査も含めた総合点で競います。僕たちはこれまで4年間で合計9機体を開発してきました。僕はロボコン上がりだったとはいえ、火星探査機なんてつくったことがなかったので、とにかく手を動かしてつくってみて、ダメだったら直して、を繰り返してきました。ようやく今年「本当に火星探査機だ」と言えるものをつくり上げられた感触があります。

 

ノリで挑戦を続けた先に見えた世界

永原:当初は4年かけてURC初出場を目指していましたが、なんと団体発足から2年で初出場を果たすことができました。とはいえ、大会ではボコボコにやられてしまいました。初出場時は38チーム中、ほぼビリです。原因は通信でした。日本ではある程度うまくいっていたものの、アメリカではまったく通信がつながらず、高いお金をかけて大きなロボットをアメリカまで持っていったのに「30分間、動かないロボットをただ見守ること」しかできませんでした。そんな風にボコボコになりながらも、「初出場はできたから、次は優勝しよう!」というノリになっていきました。

——初出場の悔しさを糧に臨んだ2年目。しかし、思わぬハプニングが待ち受けていました。

永原:技術をブラッシュアップした2年目の2025年も、再びURCに出場することができました。1日目は通信も安定していて、とても良い成績を残せたのですが、2日目、大会に向かう道中でハプニングが起きます。

永原:会場はユタの砂漠で、1番近い宿でも車で2時間半の距離にあり、毎日ミッション開始に合わせて時間をかけて向かわなければなりません。各チームごとに開始時間が割り当てられるのですが、ここでハズレくじを引いてしまいました。僕たちは朝早い試合になったのです。9時試合開始——車での移動が3時間、準備に2時間とすると、朝4時に宿を発たないといけない。加えて、時差ボケもあり、アメリカに着いてからも組み立て作業で徹夜続き、1日目に良いスコアを出した気の緩みもあったと思います。

永原:なんと、ローバーを乗せている車が横転事故を起こしてしまい、棄権することになったのです。リベンジを果たせず、宿で絶望を味わいました。この時点で、「もうやめよう。次のステージに進もう」と僕も他のメンバーも考えていました。でも最後は「やっぱり、このままじゃ終われない」と、もう一度挑戦することを決めたんです。その頃には、「日本でもこの規模のローバーがつくれるんだ」と影響を受けた学生たちが現れ、日本国内でもローバーを開発する団体がいくつか立ち上がっていました。

その後、鳥取砂丘で国内のローバー大会をつくりたいという運営団体から声をかけていただき、「鳥取ローバーチャレンジ」の立ち上げに協力しました。僕たちはURCで得た経験や知識を共有し、競技ルールづくりなどに関わりました。また、世界大会で知り合ったポーランドのチームを僕たちが招待したことで、国際的な交流も生まれ、大会は大いに盛り上がりました。僕たちも競技に参加し、優勝することができました。

 

3度目の挑戦、URC2026

永原:そして先日、待ちに待った3度目のURCに参加してきました。2年目は宿を変えた結果、移動中の事故で棄権してしまったので、今回は1年目と同じ宿を選び、ガレージで開発を行いました。大会2日前に現地入りして準備を進め、結果は世界8位でした。決して悪い順位ではありませんが、目標は優勝だったので、正直あまり納得はしていません。

1km先にある指定物を回収する探索ミッションでは、3年間、僕がロボットのオペレーターを務めました。施設に閉じ込められ、画面だけを見ながらロボットを操作するのですが、普段はお喋りな僕が、大会中は一言もしゃべれませんでした。3年間、みんなが人生をかけて積み上げてきたものが、自分の操作一つで決まってしまう。そのプレッシャーの中で挑み、7位という結果を残すことができました。

メンテナンスミッションは4位でした。一方、自立走行ミッションは、日本ではほぼ満点を取れるレベルまで仕上げていたものの、日本で使っていたGPSモジュールがアメリカではうまく動かず、現地で徹夜でもがき苦しんで調整しましたが、本番では思うような結果を残せませんでした。宇宙開発は、現場でどれだけ調整を重ねられるかが大事なんだと痛感しました。

永原:最後のサイエンスミッションでは100点中90点を獲得しました。砂の採取量が少し多すぎて減点されてしまいましたが、チームとしては一番納得のいくミッションでした。僕たち年長メンバーはここで引退しますが、これからは後輩たちが引き継ぎ、この団体を優勝へ導いてくれると信じています。

 

競技の枠を越えて、宇宙開発の裾野を広げる

——URCへの挑戦と並行して、ARES Projectは活動を社会へ伝え、次の挑戦につなげるための取り組みにも力を入れてきました。

永原:僕たちは自分たちで活動資金を集めるために、広報や渉外にも力を入れています。メディア出演をしたり、展示会には特にたくさん出展しています。ローバーを実際にお見せすると、様々な企業が興味を持ってくださり、支援につながることも多いです。テレビ局の社内研修に呼んでいただいたり、宇宙飛行士の若田光一さんと交流する機会が生まれたり、テレビ番組への出演や、CNNに取り上げていただいたりもしました。僕がローバーを設計していた3D CADの画面がAppleのCMで使われたこともあります。

また、自分たちが取り組んできたことを社会に還元したいという思いから、行政や地域と連携したイベントにも参加しています。環境省のウェブサイトでは、僕たちのローバーを海ごみ回収ロボットとして活用し、ペットボトルを回収した取り組みが紹介されました。

仙台三越では、普段ルイ・ヴィトンやシャネルの商品が並ぶディスプレイが、クリスマスの期間限定で「ARES Project」になりました。大きなクリスマスツリーの点灯式では、ロボットアームでボタンを押し、クリスマスの仙台の街に明かりを灯しました。

——学生による火星探査機開発からスタートした挑戦は、競技の枠を越え、実際の宇宙を目指す次の段階へ進み始めています。

永原:今後「ARES Project」は、後輩たちに引き継ぎ、新しい世代が日本をURC優勝に導いてくれることを期待しています。そしてリーダーと僕は、学生ロボコンの枠を越えて、実際に火星探査機を宇宙に持っていくための新たな挑戦をはじめています。

RED BULL BASEMENT」というコンテストに出場したところ、日本代表に選ばれ、世界大会に進むことができました。結果はコテンパンにやられてしまったのですが、様々なスタートアップの方や投資家の方々とつながることができました。僕たちは今後、「ARES Project」で育っていく若手のエンジニアたちの次の居場所としてのチームをつくっていきます。そして、本気で自分たちのつくったものを宇宙へ持っていきます。

 

今回のお話の内容は、YouTubeでもご覧いただけます。

https://youtu.be/ycm5yFDxGes?si=ql4ZNb8sDP7_KsOg

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