
TinyTheater
移動式ミニマム劇場〜見るものを限定しない公演を〜
次から次へ流れるショート動画。スワイプしているうちにどんどん面白い動画が流れ、気づけばあっという間に日付が変わってしまう。果たしてそれは本当に観たかった動画なのか。睡眠時間を削ってまで見る必要があったのか……と、過ぎ去った時間に罪悪感を覚えることはありませんか。
「それが人々の求めるフォーマットなら、あえてその土俵で挑もうと思ったんです。縦型動画のように“おいしいシーン”を切り抜いて、気づけばあっという間に時間が経っていた……その“やみつき”構造をパフォーミングアーツに転化できたら、うってつけの“テロ”になるんじゃないか、って」
そう語るのは、ソーズビー・キャメロン。Eテレ『えいごであそぼ Meet The World』や『天才てれびくん』『ビットワールド』で、「Zuby」「ゾース」として馴染みがある人もいるかもしれません。俳優・アーティストとして幼少期から活動してきた彼が「学生だからこそ」できる活動を求め、スタートしたのが「TinyTheater」。「移動式ノマド劇場」と銘打つこのシアターで、バレエやリップシンクのミュージカル、ジャズ演奏とダンスの公演を重ねてきました。彼があえて“テロ”と物騒な言葉を口にするのは、“受け身”な観客の“批評のなさ”に危機感があるから。TinyTheaterを通して、ソーズビーは今、観客の心に“火”を灯そうとしています。
——ソーズビーさんをいつもテレビで観ているので、こうしてお話するのはなんだか不思議な感じです。
ソーズビー:ありがとうございます(笑)。でも、実際TinyTheaterを立ちあげたきっかけのひとつは、芸能活動だったんです。全国巡業のある舞台のオーディションを受けて、最終まで残ったのに落ちてしまって。自分としては納得した部分もあったんですが、想像以上に悔しかったんですよ。
「全国を旅したかったなぁ」と考えていたら、「学生なんだから、やろうと思えばできるんじゃない?」って思い始めて。それ以前からずっと「クラシックバレエをもっと広めたい」という思いがあったんです。敷居が高いように思われがちだけど、400年以上の歴史があって、人生訓や“テレビでは放送できない”ような教訓が、舞踊、音楽や衣装……美しい総合芸術としてギュッと詰まっている。
でも今やTikTokの時代で、自分で検索することすらしない。どんどんアルゴリズムでおすすめ動画がサジェストされて、いいも悪いもスワイプで決めて……テレビ番組すら観る忍耐もなくなってきたこの時代に、「お金を払って劇場に足を運んで、バレエを観る」なんて、絶対無理じゃない!? って悲観していたんです。
そんなとき、2022年の年末に初めて行ったニューヨーク。夜中にマディソン・スクエア・ガーデンを歩いていたら、ふと(パチンと指を鳴らす)「ここでバレエを演ったらいいんじゃない?」って、イメージが湧いたんです。劇場ではなく、人の集まる場所に自分から劇場を持っていく。たまたま通りかかった“受け身”の観客たちに楽しんでもらう。縦型動画のように“おいしいシーン”を切り抜いて、気づいたらあっという間に時間が経っている……みんなが“やみつき”になっている仕組みを、アナログな場でパフォーミングアーツとしてやってみたら、うってつけの“テロ”になるんじゃないか、って。
——それが「TinyTheater」だったんですね。
ソーズビー:はい。ただ最初は公園でバレエをやる「ParkBallet」からはじまって、「TinyTheater」は後づけでした。TinyTheaterというネーミングは、私の生まれたオレゴン州ポートランドで見た「タイニーハウス」にインスパイアされたものです。ポートランドで過ごした10年ほど前の夏、ちょうどタイニーハウスが流行っていて。豪邸ではなく、飛行機やトレーラーなんかを自分たちで改造して、自分の好きなものだけに囲まれて暮らす——ミニマリストの源流となったムーブメントでした。
TinyTheater構想初期のイメージ。
ソーズビー:せっかく大学に入ってさまざまな学びをインプットしているのだから、何らかの形でアウトプットしたいなと思っていたのですが、当時在学していた武蔵野美術大学(以下、武蔵美)には、パフォーミングアーツを披露する劇場やそれに類する施設はない。それなら武蔵美に根づいている「造形」の精神に則って、自分たちで劇場を作っちゃえばいいんじゃない?って。
——自分でつくる「DIY精神」は、ポートランドのカルチャーにも通じるものですよね。
ソーズビー:まさに。公園で上映すると言っても、何もない場所で演じるのではなく、最低限の劇場装置はあって欲しかったんです。緞帳(どんちょう)があって、観客に見せる必要のない装置はきちんと目隠しできるようなものを。でも初演に向けてつくった「0号」は関係者プレビューの前日に風で吹き飛ばされてしまって、泣く泣く一晩で仮設したものを用意して……それから初演に間に合うよう急ピッチでつくった「初号」は、その後の全国公演でも活躍してくれたので、思い入れも強かったですね。
——メンバーはどのように集めていったのですか?
ソーズビー:学生なので、普通に校内の掲示板にメンバー募集のポスターを貼っていたんですよ。でもそれで集まったのは、武蔵美のときが2人、埼玉大学ではゼロでした(笑)。もともと私のいた武蔵美の造形学部芸術文化学科は、芸術文化を社会で活用するための理論や実技を学ぶ学科なので、他の学科と比べるとクリエイターが少なかったんです。なので、「何かやってみたいけどどうすればいいかな」という思いを抱えている子たちがわりと多かったんですよ。それで、最初に私がプロトタイプをやってみようと思って、「1回だけ、思い出作りだと思って」と声をかけたら、みんないい子だから引き受けてくれたんです。そのときはダンスナンバーをみんなで踊る、といった内容で「楽しかったねー!」なんて、それなりに達成感もあって。
ソーズビー:それで、正式にTinyTheaterを立ち上げるにあたって、改めて参加してくれていた子たちに手伝ってもらえないか、一人ひとりお願いしたんです。「これは私のライフワークになるはずだから、費用も責任も全部私が引き受ける。その代わり、学生時代の限られた時間と労力を割いてもらうことになるけど、お互いにとってポートフォリオにもなるし、これまで学んできたことを存分に活かせるはずだから」って。毎回プロジェクトごとに招集して終わったら解散して……みたいな感じで、延べ40人くらいの方に関わってもらったと思います。
——TinyTheaterは「移動式ノマド劇場」と銘打っていますが、そこで得られる鑑賞体験はどのようなものなのでしょう?
ソーズビー:やっぱり“全天候型”なので、雨・風・雪・アラレ……すべて経験しましたけど(笑)、だからこその感動というか、演者と観客が一体となるような感覚があります。
それこそ最初の公演がまさにそんな感じで、1曲目から雨が降ってしまったんですよ。ビショビショに濡れてしまうレベルだから、お客さまを帰さなければいけない。1曲だけ終わったら音を切って、そのまま帰ってもらうことにしよう……と思っていたら、もう大喝采、大拍手で。あわてて「このまま(音楽)流して!」って、公演を続けたのですが、ちょうど「嘆き」のシーンで、踊り子としての覚悟を見せながら、ゆっくりゆっくりと踊りつづける展開だったのです。その間に少しずつ雨もあがり、ゆっくりゆっくりと晴れていって、クライマックスではパーンと晴れたんですよ。しかもカーテンコールでは虹も出て!
——すごい! 「できすぎ」ですね。
ソーズビー:これは「勝った」かもしれない。この企画はイケるかも……って思いましたよね。ちょうどテレビ局の関係者の方が観に来てくださってたんですけど、「こんな演出やろうとしたら、雨降らすだけでも50万円はかかるよ!」って言われて、「そうか、50万円儲けたのね」と(笑)
開始前から「雨降ったらどうするの?」「大丈夫?」ってさんざん言われて、「まずは1回やってみるんだよ!」って、半ば根性論でしたけど、「どんな形でもやり遂げる」って大切なんだな、と改めて思いました。私、小学6年生から中学1年生まで『天才てれびくん』に出演していたのですが、MCの出川哲朗さんからたくさん学んだんですよ。座長として、誰よりもがんばる姿勢を背中で見せて、失敗してもみんなでサポートして、どんな形でも笑いに変えて……天てれの企画では「あり得ない!」みたいな無茶振りもさんざん、毎週させられてきましたけど(笑)、目の前にいるお客様を信じさせることができれば、こっちのものなんだ、って。だから、メンバーからもブーブー言われましたけど、本番が終わって「超楽しかった!」「やってよかった!」って喜んでいる姿を見ると、興行師としてはすごく冥利に尽きますね。
——100BANCHのGARAGE Programへ参加することになったのは、どんな経緯だったのですか?
ソーズビー:私が埼玉大学に編入して、TinyTheaterを設計してくれたメンバーも武蔵美を卒業して、制作の拠点にしていた共用工作センターから退去しなければならなくなったんです。それでどうしようかと思っていたのですが私の友人や知人にも100BANCHで活動している人がいましたし、タイミング的にも「学生団体」の枠組みからちょっとフェーズを変えたかったというか、気を引き締めたいなというのもあって、応募することにしました。
——「気を引き締めたい」というと?
ソーズビー:これまで「来る者拒まず去る者追わず」で、インターンや留学へ行ったり、卒業して就職したりでメンバーも入れ替わって、毎回公演ごとに集まって解散するプロジェクトベースでやってきましたが、その限界も感じるようになって。2024年8月に埼玉大学の学生支援事業「チャレンジ応援プロジェクト2024」にも採択されて助成金をいただくことになって、今後企業とのコラボレーションも増やしていきたいなと考えると、体制を組み直さなければいけないな、と。でも正直に話すと、ずっと覚悟してた事態がついに起きてしまいましたね。「そして誰もいなくなった」ですよ。
——この半年で、ですか!?
ソーズビー:コアメンバーとしては誰もいなくなったものの、大学を卒業して、プロとして今後もやっていこうというメンバーたちは、それぞれ業務委託のような形で携わってくれることになりました。いい意味で削ぎ落とされたというか、よりお互いの活動を尊重し合いながら、スキマ時間で本当に必要な業務を全うできる体制になったと思います。
——ある意味、100BANCHでの半年がそれだけ濃密だったのかもしれませんね。
ソーズビー:だからって100BANCHに何か責任があったわけではありませんからね(笑)。逆にこの環境に来て、大学とは違う場所で活動することで、プロや社会人も巻き込みやすくなりましたから、すごく自然な形で、残るべき人が残ったのかなと思っています。でもつくづく感じたのは、私はこれが好きなんだな、って。辞める理由がないんですよ。みんなそれぞれ進路が違って、留学とか就職とか、離れざるを得ない理由が出てくるけど、最初から「私が全部責任を持つ」とはじめた活動でしたから。ある種原点回帰というか、一人のアクターである私が、さて次に何をするのか……というのが、今の状況です。
ソーズビー:節目として大きかったのは、埼玉大学からの助成金をいただいたことですね。これまで私たちはあくまで無償で活動してきたのですが、初めてギャランティをお支払いし、プロフェッショナルを招聘することにしたんです。東京シティ・バレエ団の栄木耀瑠さん、スターダンサーズ・バレエ団の三澤由華さんの2人を招いて、ParkBalletを開催しました。
最初は2人ともびっくりされていました。ウッドデッキをステージを見て、「え、ここちょっと危なくないですか!?」って。でも「以前のParkBalletでも使用した場所ですし、意外とバレエシューズの滑り止めもしっかり効くんですよ」とご説明して、こちらのコンセプトや考え方もしっかり共有させていただきました。
私は舞台上はもちろん、その裏側も大切だと思っていて、たとえば楽屋はみんなで一つの場所を使うようにしているんです。もちろん、着替えは別の場所を用意しているんですけど。「人の前に身を晒す」というのは、本来的には命を賭けること。だからこそ、その前後を空間としても時間としても共有することに、こだわってきました。TinyTheaterには私なりに「演じること」の哲学を詰め込んでいて、引き算の美学で魅せようと心がけてきました。結果として、彼らからはそうした価値観やあり方、技術を褒めていただきました。「これは野外でやる意味がある、ぜひまた呼んでほしい」と。プロのダンサーとして日々鍛錬されている方々にそう言っていただいたのは、本当に嬉しかったですね。
——ソーズビーさんの「演じる」ことに対する考え方が、TinyTheaterに投影されているんですね。
ソーズビー:そういった意味では、100BANCHに来てコンセプトを変えたことで、ますます「演じる」ことにフォーカスが当たったのかもしれません。もともとTinyTheaterでは「観るものを限定しない」というコンセプトを掲げていたのですが、それを「演るものを限定しない」としました。最初は私自身にとっても他のメンバーにとっても、一人ひとりの個性を活かした役割を得て、自分とは違う人格になりきって、舞台上でその役を全うする──そんなシンプルで純粋な演技を、さまざまな方々に観てもらうことが大きな目的でした。
でも今後もその「純粋さ」を守るには、少しずつ規模を広げて、関わる人やお金も必要となってくる。いわゆる「大人の事情」が出てきます。ですから、ある種の倫理観や政治的観点からも中立的な立場で、プラットフォームとして「どうぞご利用ください」と言えるようなものとして、TinyTheaterのコンセプトを「演るものを限定しない」としたんです。
——「大人の事情」……ずっと芸能活動をしてきたソーズビーさんから言われると、なんだか重みのある言葉です。
ソーズビー:、私がいちばん大切にしているのが、「俳優は舞台で嘘をつかない」ということなんです。俳優は英語で“Actor”ですが、“Act”は「行動する」という意味ですよね。でも本当の意味で“Action”ができる俳優はすごく限られているんですよ。私もはじめからできていたわけではなく、先輩方に習い、演技論やメソッドを学び、半ば独学で“Action”を身につけてきました。
“Action”ができないというのは、つまり「その役ができるふりをしている」=“Pretend”している、「嘘をついている」ということ。でもそうした嘘をついている俳優でも、プロダクションの力関係や「大人の事情」で映像作品や舞台にキャスティングされてしまいがちなのが、業界の構造的な問題なんです。そういった問題や偏りに疑問を抱いてきましたが、いったんそういう世界からは離れて、学生の立場を「利用」して、一人ひとりが純粋に”Action”できる理想の環境をつくったのが、このTinyTheaterだったんです。
——TinyTheaterを通じて、ソーズビーさんが実現したいことは何ですか?
ソーズビー:日本の劇場文化にもっと豊かな表現と批評を根付かせたいんです。2019年からコロナ禍に入るまで、ロサンゼルスにあるパンテージ劇場で働いていたのですが、毎晩観客たちの“Applause(拍手喝采)”を聴いて、背中に電流が走るほど興奮していました。
海外から来たミュージシャンやダンサーが「日本の観客は真面目だ」「静かに観てくれる」とよくおっしゃいますが、私としてはすごく怖いんですよ。何を観ても拍手しかしないし、批評もなく、何を考えているのかもわからない。誰が最初にスタンディングオベーションをするか、周りを窺って固まっている観客たちを見ると、誰の目を気にしているんだろう?と思ってしまうんです。海外では称賛だけでなく、音を外す演者がいようものなら、すかさずブーイングしたりギャーギャー騒いだりもする。演者が身を晒しているからこそ、観客たちもそれを真剣に受け止め、覚悟を持って批評しているんだなと感じたんです。私はそれがすごくうらやましくて。
——確かに、オンライン配信ならチャットやコメントで反応が可視化されていますが、実際の劇場では拍手以外の反応を示す人はあまり見かけないかもしれません。
ソーズビー:日本でも、野球場やプロレスなんかでは野次が飛び交うこともありますけどね。いっそのこと、野菜と花を観客席の両端に用意しようかとも思ったんですよ。「私たちに見合うものをどうぞお投げください」って。私自身はトマトを投げられてもかまいません。むしろトマトを投げるほどの覚悟を持った、能動的な観客を作らなければならないと考えています。
——何がそれほどソーズビーさんを駆り立てているのでしょう?
ソーズビー:小さな頃からテレビに出て、あらゆる「大人の事情」をこの目で見てきました。本当に優れた表現者であっても、必ずしもその努力や才能が評価されず、志半ばで別の道へ進んだ人もたくさんいます。もちろん、すごく夢のある世界だとは思うんです。でも私は、バラエティ番組のようなテレビ文化が、日本人のアイデンティティの形成に貢献してきたとも思っています。みんな同じ時間に同じ番組を観て、みんなで感想を言い合って……私のおばあちゃんは今でも相変わらずテレビを観ていますけど、それが「観たままの世界」かどうかと言われると、そうとは言い切れません。
けれどSNSによって、良くも悪くも自分たちの声を届けられるようになりました。自分たちで観たいものを自由に選びとることもできる。それなのに相変わらず受け身なままで、アルゴリズム任せで観るものを選ぼうともしない人々に、少しでも自覚的になってほしいんです。
——その動画を自分自身で選んで観ているのかと問われると、ハッとしてしまいます。
ソーズビー:私は「選べない」立場なんですよ。アメリカで生まれて、日本で長く暮らし、働いて納税もしていますが、特別永住者なので参政権はありません。皆さんが選んだ社会の中で生きざるを得ないのです。だからこそ私は、TinyTheaterを通じて、「あなた」が何を選び、何を感じ、何を学び、どう働いて誰を信じるのか、問いかけようとしているのかもしれません。
TinyTheaterはライフワークなので、その火を絶やすことはなく、今後もずっと細々と続けていくと思います。役者が一人の役者として、「本当にやりたいのはこれなんだ!」というものを純粋に演じられる「箱」として、あり続けたいと考えています。
取材・執筆:大矢幸世 / 撮影:Barrett Ishida