私たちは、自走型ロープウェイの実現を目指すプロジェクトです。
Ropeway Innovation!
私たちは、自走型ロープウェイの実現を目指すプロジェクトです。
「実家にあったいろいろな図鑑の中から、宇宙の図鑑だけボロボロになるまで読み返していたようです。幼い頃からとにかく宇宙が好きで、将来は宇宙の仕事に関わりたいと思っていました」
宇宙への憧れを胸に、将来を夢見た経験がある人は今も昔も少なくないかもしれません。そんな幼少期のエピソードを語ってくれたのは、「Ropeway Innovation!」のプロジェクトリーダーであり、Zip Infrastructure株式会社の代表を務める須知高匡。宇宙への想いを馳せ、宇宙へ人や物資を輸送する「宇宙エレベーター」に出会い傾倒した若き日の須知さんは現在、自走型ロープウェイ「Zippar」の開発・普及に邁進中。新たな交通インフラとして、数年以内に旅客営業を開始することを目標に掲げています。
「なぜ宇宙からロープウェイへ?」という質問はもとより、今の事業の立ち上げに至るまでの経緯や未来の話を、先日卒論の提出を終えたばかり(※取材当時)の現役大学生でもある須知に伺いました。
Ropeway Innovation!:須知高匡
——ロープウェイに携わる前にまず興味を持ったのは、宇宙エレベーターだったそうですね。
須知:物心ついた頃から宇宙とものを作ることに興味があったのですが、大学入学にあたって宇宙に関わるどんなことをしようかと考えた時、ロボットや衛星関連と違ってまだ注目を集めていなかった宇宙エレベーターに惹かれ、宇宙エレベーターを研究するサークルがあった今の大学を選びました。ロケットのサークルは理工系の大学だと割とどこでもあるのですが、宇宙エレベーターのサークルはほとんどなかったので。みんなと同じことをやってもつまらないと思ったんですね。
——サークルで大学を選んだわけですね(笑)。 現在はロープウェイの開発を行っていますが、そこに至るまでの経緯はどのようなものでしたか?
須知:宇宙エレベーターの大会のようなものがあって、そこに自作のマシンを出展したんです。その大会ではマシンを実際に動かしてみて、その速さや移動距離、どれくらいの重さを持ち上げられるかといった項目を競うのですが、そこで培った技術を発展して応用すれば、自走式のロープウェイができるんじゃないかという考えに至りました。従来のエレベーターやロープウェイは、ゴンドラがロープに繋がっていてロープごと動かさなければいけません。ですが、宇宙エレベーターや僕の開発したロープウェイ「Zippar」は、ロープとゴンドラが独立しているのでより自由な設計が可能。どちらも今までになかった新しい技術なんです。
——それでロープウェイに方向転換しようと。
須知:実際のところ、宇宙エレベーターにはいろいろな問題があって、完成すると言われている時期は2050年と少々先のことなんですよね。技術開発をしている人は周りにいるけど、「結局、誰が開発費用を出すんだ」というところで話が止まっている状態。僕はやるからには自分でガシガシ進めていきたいタイプなので、だったら宇宙エレベーターと同じような技術を使って社会問題を解決しつつ、ビジネスとして成立することをやりたいと思い、それでZipparの開発へとプロジェクトの内容を移行しました。
新交通システム・都市型自走式ロープウェイ「Zippar」コンセプトムービー
須知:その後、「自分の開発したロープウェイをどんなフィールドで活かせるか」と考えた時に思い浮かんだのが交通の分野でした。Zipparは既存のモノレールに比べ、約 1/5 のコストと期間で建設が可能です。先に述べたようにロープとゴンドラが独立しているため設計の自由度が高く、様々な場所やシチュエーションに適応できます。これが都市で普及すれば、交通渋滞を解決する手立てになるんじゃないかと考えました。当初は建築や農業、林業、アミューズメントなどの分野も検討していたので、100BANCHのGARAGE Programではいろいろなジャンルの実験をしていましたね。分野を決めてから実行に移したのは今から1年くらい前。会社を設立したすぐ後でした。
——須知さんは会社を設立した後、GARAGE Programに入居されたんですよね。
須知:はい。活動拠点が得られるというメリットにも注目してエントリーしました。ずっと大学のサークル内で活動を進めていたのですが、あまり後輩の居場所を取ってもよくないなと思っていた頃だったので良いタイミングでしたね。入居してからは週1回のチーム会議を100BANCHで行っていました。僕たちが開発するプロダクトはどれも大きいので、作業を行いながらとなると100BANCHのスペースでは現実的に厳しい。作っているものを画面で見ながら話し合うという会議をここで重ねました。
——入居中はどんな出来事が印象的でしたか?
須知:メンターの大嶋(光昭)さんとの出会いがいちばん大きかったですね。入居当初、自分の開発したロープウェイの技術を使うことは決まっていたのですが、その実装先となる分野が固まっていない状態。ようやくそれが決まって今の活動に繋がるわけですが、ビジネス的にやっていけるかわからず不安定な状態だったので、大嶋さんにはいろいろと相談に乗っていただきました。……と言うか、相変わらずまだまだ挑戦中なので、僕の分野にも造詣の深い発明家でもある大嶋さんには今でもよく相談させていただいています。よくよく考えると、すごく贅沢な環境ですよね。大嶋さんからいただいた言葉ですごく印象的だったのが、「3階の景色は2階からしか見られない」というもの。これは僕の座右の銘にもなっているんです。
——「3階の景色 」とは、どういうことでしょうか?
須知:階段やはしごがあるような3階建の建物があるとして、その1階から3階を目指したとします。その場合、1階にいるうちは階段を少し登ってもギリギリ2階が見えるくらいで、2階まで登らないと3階の景色は全く見えません。つまり、「実際にやってみないと可能性や未来は見えてこないから、とりあえずやってみるのが大切。1階から見える景色と2階から見える景色は全く違うんだ」ということです。今でもこの言葉は僕の中にしっかりと残っていて、よく「とりあえずやってみよう」と社内でも言っていますし、僕自身も常々そういうマインドで行動していますね。
——須知さんの行動を後押しする言葉になっているんですね。他にも、入居期間を通して得た出会いや気づきはありましたか?
須知:モビリティ関連のプロジェクトとは意見交換をしていましたが、他のプロジェクトとの絡みや横の繋がりを広げる行動は率先してやれていなかったので、今思うとそれが少し心残りですね。渋谷というアクセス抜群な場所に拠点を持てたのはすごくありがたかったんですが、当時は大学にも通っていたのであまり頻繁には通えず、多くの方々と絡む場も少なかったんです。大学卒業後も100BANCHには通う予定ですので、機会があれば他のプロジェクトとコミュニケーションを取って、コラボレーションなどもしてみたいですね。
——神奈川県小田原市で行われている自走式ロープウェイの実証実験に、100BANCHのオーガナイザーでパナソニック株式会社の則武 里恵さんも参加されていましたよね。
須知さんによる一人乗りモデルの実験
須知:そうなんです! 新型コロナウイルスの影響もあって実証実験がずっと延期になっていたのですが、ようやく実現できてホッとしています。実際に人を乗せて行った初の運転でした。則武さんをはじめ、実際に試乗していただいた方々には楽しんでいただけましたし、ロープウェイの安全性をはかる試験項目を一つひとつ検証できたことで、改善点を見つけることができました。
実はこの実証実験を行う以前、ものを運ぶ実験の際にロープウェイから運搬物が落ちてしまったことがあるんです。その時は下に人もいなくて大きな事故にはならなかったのですが、もし下に人がいたらと考えるとゾッとしました。自分がやろうとしていることは人に危険を及ぼす可能性のあるものなんだと改めてそのリスクに気づかされ、そこから安全性をものすごく重視するようになりましたね。小田原の実験では、ロープウェイが万が一途中で止まってしまうような事故があっても対応できるよう、もしもの時のためにレスキュー訓練を受けました。それによって1〜2カ月ほど運用が遅れてしまいましたが、不可欠なことだったと感じています。
——実験での失敗がリスクについて見直すきっかけになったんですね。
須知:ミスのない状態を目指すのは当然ですが、事の重大性に気づかずそのままやっていたら非常に危なかったと自覚しました。現場にいた方々にはご迷惑をお掛けしてしまいましたが、今振り返るとその段階で失敗しておいてよかったなと思います。人を運ぶということは人の命を預かるということ。立ち止まってそのことを考えることができた貴重な経験でした。
——100BANCHで方向性を定め、事業が加速化したわけですが、具体的に今はどのような活動をされていますか?
須知:先日、国土交通省(以下、「国交省」)との話し合いによって、ロープウェイとしての法的な枠組みが決まりました。以前、国交省にZipparが法的に見て何に当てはまるのかを尋ねてみたのですが、先方もよく分からないという反応で(笑)。法的な枠組みが決まらないと進められない面があるので、その後も連絡のやり取りを続け、それがようやく整理されたというわけです。
——国交省の方でも分からない、前例のない乗り物だったというわけですね。
須知:そうですね。僕が目指している方向性は役割として定義上、モノレールの枠で捉えられる可能性もあったのですが、モノレールとロープウェイとではルールが全く違うんです。 モノレールはすごく基準が細かくて、ロープウェイはそうでもない。基準が書かれた資料を比べると広辞苑1/4の厚さと、2冊分くらいのボリューム差(笑)! 実装のハードルももちろん異なっているので、この度Zipparがロープウェイとして正式に認められたことはすごく大きいですね。あと、最近は周囲からも「最初は失敗すると思ったけど可能性がでてきたね」なんて言っていただけて、自他共に手応えを感じられるくらいには前進したなと思いました。
——それまでなかった枠組みが決まったというのは大きな前進ですね。
須知:国交省との折り合いは付きましたが、基本は苦労してばかりですね(笑)。ビジネス的な目線で言うと僕のやっていることは実績が出しにくいんです。実証実験で試験項目をクリアしたとか、国交省と話し合いによって枠組みが決まったとか、そういう成果報告はできるのですが、それって一般的には分かりづらいことで、「何が何%どうなって……」という指標が表しづらい。投資家にしても、僕のやっている分野に詳しい方はほとんどいないし、そもそもこれまでこういったインフラに関わることを行ってきたのは大企業でしかなかったわけなので、そういった意味では本当に全てチャレンジばかり。
世の中的に「こんなことが実現できた」という報告ができるまでには、かなりの長い時間がかかってしまうんです。だから新しい乗り物ってなかなか生まれないんだな、だから満員電車にぎゅうぎゅうに詰められて各地で渋滞が起こっているんだなって納得しました。新しい交通インフラを作るってすごくハードルの高いことだと思います。
——それを前例のない試みによって実現するというのは、なかなかインパクトのあることですよね。
須知:往々にして、新しいものを作る時はなるべく既存のものに当てはめて進めていくんです。その中で枠組みの外に出てしまった部分を実証実験して、それを元にした基準を作って運用していく。この過程はZipparに限らず全て一緒だと思うんですけど、もう始めは分からないことだらけなんですよ、本当に。この辺が大嶋さんの「3階の景色は2階からしか……」という話に繋がってくるんですが、そんな分からないことだらけの中でも進めていかないと、そこでそのまま止まってしまう。逆に、やらないと分からないことばかりで、そこをやってきた人だけが先に進めるということなんですよね。
——その視点は挑戦を要する全てのジャンルに通じることですね、
須知:そう思います。それを今までやってきて、ようやくベースを作る段階が一区切りついたように思います。コロナの影響もあって少々遅れを取ってしまいましたが、今は実験などを通して世の中的な価値を示していくフェーズ。実は、コロナ渦で人があまり移動しなくなってしまって、事業への直接的な影響はないにしても先行きを懸念したことがありました。極端に言うと、みんな家に籠もってVRなどで事足りてしまうような世の中になってしまうんじゃないかなと。だけど、僕自身がそうだったのですが、やっぱり1カ月くらい誰とも会わずに家にいる生活をしていると外に出たり、誰かに会いに行きたくなるもの。そうすると“移動する”という行為が消えることはありませんよね。
人はやっぱり外に出たい、つまりは移動したい生き物なんだと思います。中国はコロナが落ち着いて規制が緩和された時、みんな一気に旅行や外出をしましたし、日本でもGo Toキャンペーンでたくさんの人が全国各地を訪れていた。僕自身もコロナが落ち着いたら行きたい場所がたくさんあります。今はそのための移動手段のひとつとして、自治体やディベロッパーに向けて、渋滞問題が発生している地域や、観光地化や再開発を目指している地域に、Zipparの提案をしていきたいと思っています。
——ちなみに今後の展開として、宇宙エレベーターに回帰するという目論みはあるんでしょうか?
須知:虎視淡々と狙っています! 以前ほど宇宙を意識して具体的に動いているわけではありませんが、SpaceXが話題になっている今、技術的にも予算的にも宇宙エレベーターは実現できる段階に近づいているんじゃないかなと思っています。遠い未来の話ではなくなっている気がするんですよ。いずれにしても、最終的にはやっぱり宇宙エレベーターに到達したいですね。もちろん、宇宙が好きってこともありますが、僕自身やっぱり“運びたい”人なんです。人を運ぶのが好きなんだと思います(笑)。
——運びたい願望って初めて聞きました。運ぶためのものを作りたいという、もの作りの願望でもありますね。
須知:思い起こせば、昔からものを作る実験をやっていました。小学校の頃、給食で牛乳パックが出ていたんですが、ある時1カ月間かけてクラス全員のパックを集めて1人乗りの船を使ってプールに浮かべて実際に乗ったことがあるんです。乗って5分で沈没しましたけど(笑)。宇宙ともの作りは昔から好きでしたが、今思うとその頃から運ぶことにも興味があったのかもしれません。先のことは分かりませんが、自分と相性の良い分野を選ぶことができたんじゃないでしょうか。また、自分の性格的なことなんですけど、いわゆる一般的な会社では働けないと言うか、人から指示をされるとストレスを感じてしまい動けないタイプなので、ある意味、消去法的に今の活動をやっているところがあります。
周りから評価していただくこともありますが、決して僕がすごいからとか優秀だからというわけではなく、ただ得意なことをやっているだけであって、得意不得意の話なんだと思います。今思うと、小さい頃から興味のあることをやってきて、それを応援してくれる友人や教師、そして自由にやらせてくれる親に恵まれたことも幸運であり、そういうものがパズルのピースのように合わさって、今の自分が形成されているのかなと思っています。
(撮影:鈴木 渉)